絹本著色絹本著色地蔵六光菩薩図絹本著色地蔵十王図麻布著色絹本著色” 麻布著色麻布著色菩薩十王図麻布著色三蔵菩薩図絹本著色萬五千仏図麻布著色十王図この他に16点が確認されたが割愛する。以上,仏像18点,仏画50点(69幅)について調査した。これらのうち,すでに重要文化財などに指定されており,周知のものもあるが,その多くは今回の調査によってあらたに確認したものである。さて,これらをみるといくつかの特徴が見いだせる。まず高麗時代の仏像が山口県にのみ所在していることである。これは中世に周防を本拠とした大内氏の存在によると考えてよい。例えば大内義弘・持世・盛見などは朝鮮半島との交流を盛んにしたが,なかでも盛見は仏教に大きな関心をもち,大蔵経を求めたことが知られている。おそらく李王朝と直接交流があり仏像•仏画が請来されたのであろう。一方,香川・六万寺の如来形立像や愛媛・善応寺の釈迦誕生仏などは寺近在から近世に出土したことを考慮すれば,古代にすでに渡来していた可能性がある。また李朝時代前期の仏画が他の地域に比べて格段に多いことも瀬戸内沿岸地方の特徴といえよう。これについては「文禄・慶長の役」に際して持ち帰ったものと一般的に考えられている。この時期,朝鮮半島では排仏崇儒の時代で,おそらく仏像や仏画などは重視されなかったため,比較的入手しやすかったことが考えられ,その時代背景を熟慮すべきであろう。なお瀬戸内海には河野水軍・塩飽水軍などが存在し,中世には遠く中国南岸や朝鮮半島など海外に雄飛した。こうした海外交易のなかで仏教関係の品々も持ち寄られたことは容易に想像されるであろう。もちろん,入宋僧なども請来に深く関与したことはいうまでもない。( ” 山ロ・功山寺(麗末鮮初時代)香川・与田寺(高麗時代)岡山・日光寺(李朝時代)香川・弥谷寺( II ) 広島・光明寺( FF 山ロ・国分寺( II 広島・安国寺( ” 岡山・宝島寺(高麗時代)広島・不動院(李朝時代)香川・宝性寺-108-FF II II
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