請求舎利」,「口口婆羅門分付舎利」,「力士挙棺敢不傾動」,「如来宝棺遊四門」,「阿難聴遺教請舎利」などが記されているが,これは『大般涅槃経後分』に説かれる内容とよく合致し,しかも涅槃の場面には『大般涅槃経後分』の一節がみられることから,同経に基づいて作画されたものとみて間違いない。南宋画である叡福寺本のような涅槃変相図が鎌倉時代前期に請来され,それを典拠として耕三寺本や常徳寺本などが制作されたものとみられよう。つまり叡福寺本は,わが固の中世涅槃図の展開に大きく影響を与えたものとみられ,その存在は極めて大きい。つぎに大阪・弘川寺蔵地蔵十玉図〔図3〕をみてみたい。ところで中国・朝鮮半島の地蔵十王図の図様は1.敦燎画にみられるように地蔵菩薩を中心にして十王かその両脇に居並ぶ。周辺に配置される。2.中国南宋末〜元初制作の陸信忠筆の地蔵と十王10幅に描く。3.高麗・李朝時代の地蔵菩薩を中心にして十王と無毒鬼王・道明和尚などがその図3絹本著色地蔵十王図(大阪・弘川寺蔵)ヽノrヽ図4薬師三尊図(広島・宝寿院蔵)-112-
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