このように大きく3つに分類されるが弘川寺本は図の最上部に地蔵菩薩・僧形人物(道明和尚)・男性人物3体が描かれ,その両脇には白と赤の蛇が口から火炎を吐き出している。中段には十王と判官・女人・牛鬼など24体が渦巻く雲に乗る。下段には白馬に乗る男性形とそれに従う20体余の人物が表情農に描かれており,先述した諸図とは大きく異っている。これらの場面はそれぞれ有機的な繋がりがみられ,一連のものとして捉えることができる。つまり地蔵菩薩により牢獄から罪人が連れ出され,針の山の間を巡って使者に導かれて救済される様子を十王などが眺めているとみられる。このうち地蔵菩薩,牢獄,蛇などは敦煙の十王経図巻の十斎具足生天図の場面を想起させる。そして「統引領亡鬼使者」と書かれた幡を持ち白馬に乗る人物の導引の様子は,南宋画の神奈川県立博物館蔵十王図10幅中の馬が描かれている図に近い。また十王やそれに随侍する諸人物の表現も新知恩院の六道絵の地獄絵に酷似している。彩色をみると朱・緑青・群青など濃彩で,渦巻く雲は隈取りを濃く施し,さらに細密な描写は本図の制作が南宋末から元初であることを示している。わが国に現存する中国の地蔵十王図は,先述のように十王図10幅本形式がよく知られるが,弘川寺本のような説話性の強い図様の存在は驚きであった。そして敦煙画との関連も無視できず貴重な一本といえよう。図の下部に「備前□南寺常口」とあることから,おそらく中世には備前地方に伝米していたことが想像されるが,残念ながらこの図が中央ではなく,地方に長く所在したためであろうか,この種の図像が流布されることはなく,わが国の仏画に与えることは少なかったのであろう。つぎに朝鮮半島の作品をみてみよう。高麗時代には仏教が擁護されたため,仏像や仏画の遺品は豊富である。特に高麗時代後期の13世紀末から14世紀の仏画の現存作品は,わが国で確認されるだけでも,およそ100点が知られている。ところが李朝時代になると儒教が崇拝されるとともに仏教が排斥された。なかでも成宗・燕山君・中宗の時代(1470■1550)は強烈に排仏運動がなされ僧侶は還俗,寺院は廃されたのである。しかし16世紀中期から末期にかけての半世紀の一時期は仏教がおおいに盛んとなった。つまり李朝13代の王・明宗の母,文定王后による李朝仏教の興隆である。この期の現存作品をみると画布や描写において明らかに二分される。ひとつは絹本でしかも金泥線を多用したものであり,他方は麻布でその彩色がかなり粗雑なものである。これは宮廷風と庶民風と換言できよう。このうち本調査において朱の絹地に金泥線で細やかに描写された作品が数点確認された。これらには銘文がみられるが,その内容はすべ--113-
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