鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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゜以上,仏像•仏画の主要な作品について,その概要を記してきたが,今後は各作品Vヽて李王朝に関係するものである。まず広島・宝痔院蔵薬師三尊図〔図4〕,兵庫・江善寺蔵釈迦三尊図には嘉靖44年(1565年)に文定王后が,明宗の病気平癒を祈願して釈迦・弥勒・薬師・阿弥陀を金画で50禎,彩画で50禎,合わせて400禎を制作したことを記している。宝珠院本も江善寺本もこの400禎のうちのひとつである。因みに徳川美術館および高知・龍乗院蔵薬師三尊図も同様に400禎に属するものである。ついで和歌山・如意輪寺の龍華会図は隆慶2年(1568)の制作で同様に朱絹金泥画で,図の下部に恭焚王大妃(12代仁宗王妃)が明宗の極楽往生を祈願したことを記している。つまり明宗は隆慶元年(1567)に22歳で,すでに没していたのである。このように李王朝の宮廷内の出来事が本調査によって再確認することができた。先述したように李王朝に関係する仏画には,絹本でしかも金泥線により描写されたものが多い。これは純金画と称されていたが,これらの施主には文定王后,恭鯰王大妃,某王妃など女性が多い。おそらく排仏崇儒を掲げた李王朝だけに,王自身の崇仏的行為は許されなかったのかもしれない。ところで高麗や李朝時代には阿弥陀あるいは地蔵を中心とする浄土教が主流で,密教の信仰は少なかったとされているが,広島・持光寺蔵千手観音あるいは東寺旧蔵熾盛光仏図などの遺品が確認されることから,密教もかなりで信仰されていたことが判明する。李朝仏画は美術作品としては決して優れたものではないが,隣国の出来事を具さに知ることができるとともに,文物の交流の有り様を如実に知り得るのは興味深についてさらに詳しく考察を深めていきたいと思う。なお今回の調査のなかで『華厳経』・『法華経』などの高麗写経が各地に散在していることが確認できた。これらについても引き続き調査を実施したいと念願している。-114-

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