さて,従来の研究で,「年中行事絵巻」の五大諄について,詳しく触れられたのは,中野玄三氏である。まず,中野氏の分析をそのまま引用しておきたい。「御修法図の不動が,迦楼羅炎光を負っているのに,この東寺本では,渦巻火炎光に変わっている。その他の明王も,軍荼利の左第二手の持物が御修法図では,柄の長い三叉戟なのに,東寺本ではその柄が短く,大威徳の水牛が御修法図では罷銃座に座るのに,東寺本では六角二重の台座に乗り,金剛夜叉の左第一手の持物が,御修法図では鉾なのに,東寺本では輪宝になっている等の相違がある。またすべてに共通する相違点として,御修法図ではいずれも渦巻火炎ではないのに,東寺本ではすべて渦巻火炎であるうえ,御修法図にはない頭光を付けている。そして,その火炎の先端のなびき方が,御修法図では不動・降三世・大威徳が向かって右へ,軍荼利・金剛夜叉が向かって左へなびくのに,東寺本ではすべて向かって右になびいている。御修法図は,小さな図であるから,厳密な考証を経たものではないかもしれないが,これだけ相違点があると,十二天像ともども,現存の五大聰・十二天像とは違う作品が御修法図に描かれていると考えざるを得なくなる。」そして,鳥獣座に乗る十二天が,大師御筆様であるとし,御修法図に描かれている十二天像は,宇治御経蔵の大師御筆様を写した十二天像であると解釈した上で,「御修法図の五大尊もまた宇治御経蔵の大師御筆様を写したものであろう。」(下線,論者)とされている。中野氏が示された相違点は,かなり細部に及んでいるが,まだいくつかの看過できない重要な相違点をあげることができる。その結果,絵巻の五大諄は,大師御筆様と異なることを指摘したい。年中行事絵巻の五大尊は,小さい図であるため,写真で細部を拡大してみたが,細部は不明瞭な部分も多く,近世に写し取られた段階で,写しくずれが生じたことも想像される。こうした限界を踏まえなければならないが,十分に尊像の特徴を表現でき得ていることも認められる。ここでは,まず順を追って,五大尊一尊ずつの図像を,写真と別表を参考にして,見ていくことにする。なお,弘法大師御筆様と伝える五大腺は,醍醐寺,東寺に伝来する「仁王経五方諸尊図」,醍醐寺蔵「五大腺像」によって知ることができる。また若干の差異はあるが,これに近い図像を示すものとして,木彫像の東寺講堂像がある。これに対して,東寺本五大尊画像と,年中行事絵巻・真言院の段の五大尊画像を並べ比較してみたい。そして,絵巻の五大尊の特色を考えるために,円珍請来五大尊と,これと同系統の絹本著色画,来振-116-
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