寺五大尊画像並びに円心筆様五大尊と,これと同系統の絹本著色画,醍醐寺五大尊画像のそれぞれ図像を別表に並べてみた。まず,不動明王については,東寺本では,巻き毛,七荘誓,砂目の表現が,大師御筆様と異なっていると,すでに指摘されているが,絵巻の不動明王も,髪の毛の表現は,波だったように描かれており,その形は,直毛を総髪にする大師御筆様を表したものでなく,巻き毛を表したものと解する方が自然であろう。またその目も,大師御筆様の両目をかっと見開いたものではなく,砂目か,瞳目を表しているように上瞼の下がった表現がとられている。口元も,受け口のように顎を出し,左右の口元に上下の牙があらわれている。明らかに,絵巻の不動明王は,大師御筆様ではなく,不動十九観に近い図像であるといえよう。しかし,東寺本では渦巻火炎光だが,絵巻の方は,迦楼羅炎光であることに注目しておこう。ついで,降三世明王では,東寺本は,三面八腎で,各三目であることや左右第一手の大力契印,その他の持物は,大師御筆様と同じであるが,明王の踏みつけている烏摩妃が,座位をとるところが,大師御筆様と異なっている。絵巻の方では,印相,持物等の描写が,不明瞭であるが,左右第一手を胸前に合わせているのは,大力契印を表したものと考えて良いのではないだろうか。左第三手に弓をとることは,大師御筆様,東寺本と同様である。左第四手に,竜索をもつところが特徴的である。そして,これも烏摩妃は,座位をとっている。軍荼利明王は,一面八腎,三目であるが,東寺本は,左右第一手の翔摩印,右第二手の施無畏印や,その他の持物についても,大師御筆様や東寺講堂像に近い。ただし,左第二手,三叉鉤の下には,最初,竜索が描かれていたようである。絵巻の方は,やはり印相,持物に不明瞭な点が多いが,左右第一手を胸前で交差しているのは,掲摩印を表していると考えて良いだろう。左第三手の錫杖のように見えるものも,三鈷戟を写し違えた可能性が大きい。左第四手には,輪宝を持ち,ほぼ,大師御筆様や,講堂像,東寺本に近いものを示しているように見えるが,右第四手の三叉鉤のようなものは,独特である。また頭頂に三面をおくような表現は,骨蜀骨婁冠の装飾を写し違えたものか,本面と合わせて,四面を表しているのか,判断しにくい点である。さて,絵巻の五大淳を考えるのに,もっとも特徴的なのが,大威徳明王である。東寺本の大威徳明王は,六面六臀六足で,桓座の水牛に座し,左右第一手を檀祭印にするところ,その他の持物も東寺講堂像と同じである。ところが,絵巻の大威徳明王は,-117-
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