左第三手の近似性は,無視しがたいものがある。金剛夜叉明王は,東密独特のもので,本来,烏紡沙摩明王とは,別のものであるが,東密の図像集には,円珍請来の烏蒻沙摩明王を金剛夜叉明王として載せているものもあり,両者の混同があった可能性も否定できないのではなかろうか。特に唐では,烏葛沙摩明王の信仰が盛んで,唐本図像には異本も多い。絵巻の金剛夜叉明王と同種の図像が残らないため,想像の域をでるものではないが,大師御筆様でも,円心筆様でもない金剛夜叉明王があった可能性も考慮してみる必要があるのではないだろうか。その観点からすれば,大威徳明王の左第三手の鉾は,醍醐寺蔵『明王部図像』に収められている蓮華座に座す六面六腎六足の大威徳明王の左第三手の鉾との共通性を指摘できるかもしれない。このように,まったく同種の図像は残らないとはいえ,あながち荒唐無稽な誤写とも言い切れない部分が,絵巻の五大専には見いだせるのである。以上のように,「年中行事絵巻」の真言院の段に描かれている五大尊を詳しくみてきた。そのことから言えるのは,いままで,鳥獣座十二天を大師御筆様とし,これとともに用いられている五大尊を大師御筆様と考えてきたことは,まったくの誤りであったということである。このことは,「年中行事絵巻」そのものの性格,またそこに描かれているものがどのような内容を示しているかを再検討し,その上で,果たして後七日御修法で,どのような画像が用いられたのかを考え直す必要があることを示している。そして,これは,さらに,現存本五大尊十二天画像の理解にもかかわる重要な問題点であることは言うまでもない。また,絵巻の五大諄と共通点の多かった円心筆様の成立を考える上にも,示唆を与えるものと思われる。こうした観点から,今後,改めて,考察を深めてゆきたいと考える。-120-
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