鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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の敬意すら感じる一瞬である。そして杉木立ちが画面の主要な位置に配され,石壇や茶店,月,井戸などが脇に置かれている,といってそれらが引立て役に廿んじているわけではない。不折の言う「結構布置」が句の中で生かされている。子規は自身の目に映じた光景を,淡々と吟じたのであろう,美辞麗句で句を飾り立てたり,誇張などは一切していない,それでいながら句に満ちているのは,初秋の薫りであり,秋の気配であり,詩情である。子規もまた日本の何でもない自然を清新に瑞々しく謳っている。私などはこのころの浅井忠の作品によく見られる農村風景を扱った作品,例えば「収穫」や「秋郊」(明治26年)などの画面とこれらの句が重なってしまうのである。子規の念頭に浅井の作品が浮かんだのではと思う位に。浅井の師,フォンタネージは自然をありのままに写し出すのではなく,最終構図においては余計なものを切り捨てたり,対象の調和を図ることを示したが,浅井はその教えを忠実に実行していた。常に「結構布置」を考慮していたのである。構成的な共通点ばかりではなくて,浅井の絵もありふれた農村風景を取材しているにすぎないのに画面は秋の薫りで満ち,農事に勤しむ農夫(婦)の背を,顔を秋の日が温<照らしている。その様はまるで"杉高く秋の夕日の茶店かな”の句とおなじように大気,陽が描かれている,傾きかけた長い陽射しが画面の前にいる私達のところまで降り注いでいるかのようである。"掛稲にイナゴ飛びつく夕日かな”(明治27年)この句にも浅井の「収穫」に共通するような大気と陽射しがみられる。イナゴの背が夕日に照らされて輝いている,稲もまた黄金色の光沢を帯びている,空はあくまでも高い,正しく日本の秋,日本の農村風景である。何でもないこんな光景が彼等の手に掛かると珠玉の句となり,絵画となる。子規の視点と浅井の視点は共通している。平凡な事物である,それだけにただあるがままに表現しているだけならば,果してこれ程の共感を呼んだであろうか。ひとえに彼等の中にある日本の秋の情趣を掬い上げる詩心,詩魂故ではないのか。それはまた平凡なものを美なるものに創り上げてゆくものなのでもある。先に引用した「写生・写実」の中で子規は"写生が出来ずに精神が加えられるであろうか”と提起している。彼のいう精神とは,絵でも文芸でも,表現された対象を媒介として,作者の言葉や思想を受け手に伝える事を意味していたのではないか。だから"土地を描いて土地と分からないようでは精神の見えようがない”とも言う。初め-5-

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