鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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⑭ 中国中原地方およびその周辺地域における阿弥陀仏寵の研究研究者:東京国立文化財研究所情報資料部研究員勝木言一郎1.はじめに当麻曼荼羅をはじめとする阿弥陀浄土変相の系譜を研究するに際し,中国との文化交流を見のかすわけにはいかないであろう。なかでも隋唐代,長安や洛陽における寺院の壁面を飾った浄土変相の研究は不可欠である。しかし,これらの作例はいずれも長い歴史の中に湮滅してしまい,今日では,敦煙莫高窟などの石窟寺院に伝わる作例をもとに,比較考察を行うよりほかに術がない。その意味からも,敦煙壁画が質・量ともにめぐまれ,浄土変相の図相を考える上で重要であることはいうまでもない。ところが,中国西北部は敦煙を含め,中央から見れば,かなり辺境な地である。それだけに敦燻壁画などの地方作例をもって直ちに日本の作例と結びつけるにはあまりに隔たりがあるように思われる。そこで本研究は,日本の仏教美術の源流をたどる上で重要な中原地方の作例に注目し,浄土変相の揺藍期における諸相を考察しようとするものである。とくに今回は,小南海石窟中窟における九品往生図浮き彫りを例にあげ,フィールドワークの成果を報告していきたい。さて,小南海石窟に関する調査研究は,河南省古代建築保護研究所が1988年にその概要を報告したのが始まりである(注1)。さらに同研究所は1991年に『賓山霊泉寺」(注2)という報告書を出している。この報告書は写真図版や拓本・描き起こし図を掲載するなど,資料として高い価値を有している。しかし,題名にあるとおり,宝山霊泉寺に関する調査報告が大部分を占め,小南海石窟に関する部分はきわめて少ない。この調査報告の後も,安陽地区の一環として研究はすすめられてきている(注3)。また『中國美術全集』(注4)が小南海石窟の図版を掲載している。このように小南海石窟に関する研究は近年になってようやく開始されたばかりであり,いずれも宝山霊泉寺に付帯する形ですすめられてきたといえる。2.小南海石窟中窟の窟形式および窟内構成小南海石窟は,河南省安陽市の中心から西南西の方向に直線距離で約21km離れた,安陽県善応村亀蓋山南麓に位置する(注5)。-130-

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