3.小南海中窟の造像年代について小南海中窟の門額上部〔図5〕に刻まれた『方法師錢石班経記』から,中窟造営に関する経緯をうかがい知ることができる。銘文を以下に示す。大齊天保元年震/山寺僧方法師故/雲陽公子林等率/諸邑人刊此巖窟/房像奨容至六年/中國師大徳棚祠/師重埜脩成相好/斯備方欲刊記金/言光流末季但運/感将移腔乾明元/年歳次庚辰於雲/門帝寺奄従遷化/衆等仰惟先師依/准観法遂錢石班/経偉之不朽この『方法師錢石班経記』によれば,北斉天保元年(550),霊山寺僧方法師・故雲陽公子林らが邑人たちを動員して小南海中窟を開竪し,真容をかたどったとある。つまり,中窟の造営は天保元年(550)に僧侶と在俗信者の手で始められたのである。天保6年(555)に至って,国師僧棚禅師が重ねて営造し,相好もととのったとある。回師僧槻禅師が小南海石窟の造営に関与したことは,既述のとおり,窟内北壁に比丘僧桐供養浮き彫りがつくられたことからも裏付けられる。国師僧棚禅師に関する記録は,道宣撰『績高僧傭』(注11)に見出すことができる。方法師は金言を刻もうとしたが,時代は末法に向かって流れ,ただめぐりあわせもまさに移ろうとしていた。ついには乾明元年(559)になって国師僧桐禅師も雲門寺において寂滅した。そこで,人々は先師を慕い,観法に準じて,石版に経を彫った。これを伝えることは不朽となったとある。それが窟門右側に刻まれた『華巌経偽讃』と『大般涅槃経聖行品』である。図5小南海石窟中窟窟門門額上部-133-
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