第1に,九品往生図浮き彫りは,各図像に対し題記をつけるおかげで,『観無置寿経』に所依することが明らかである。これは6世紀半ばに『観無量痔経』が所依経典として造像に関与していたことを示すものである。すなどの表現は,当麻曼荼羅図をはじめ,阿弥陀浄土変相の中台部における宝池に認められる。つまりこの浮き彫りが蓮華化生表現による九品往生の祖型と考えられるのである。こには宝池段と宝地段の区別が認められる。このほか,楼閣をつけた宝樹という題材も,阿弥陀浄土変相における浄土景観の一部として確認し得る。また既述したとおり,連茎が境界線を越えてのびてきていることから,境界の下方か蓮池であることが知られる。この表現から,浮き彫りと1仏2菩薩立像が構成上一体をなすことは明らかであろう。したがって,西壁の三尊立像は阿弥陀であると考えられる。九品往生図には蓮華化生のほか阿弥陀来迎の造形表現がある。管見の及ぶ範囲で最も早い阿弥陀来迎型式の作例は,初唐期の敦燻莫高窟第431窟九品往生図壁画である。それに比べて,小南海石窟の九品往生図浮き彫りは約1世紀早い。そればかりか,この九品往生図浮き彫りは,蓮華化生型式の造形表現の方が阿弥陀来迎型式に先行してつくられたことを示すものであった。そしてこの浮き彫りは,構成からみるかぎり,阿弥陀浄土変相のように宝楼閣段や舞楽段を配置するものでないか,宝池における蓮華化生の表現や宝池における宝樹の配置などは,いずれも阿弥陀浄土変相の中台部に認められる造形表現であった。さらに重要なことは,この浮き彫りが『観無量寿経』によることを題記に明示したことである。すなわちそれは『観無量舟経』が北斉期のころすでに所依経典として阿弥陀図の造像に関与していたことを意味していたからである。このような点からみて,小南海石窟の九品往生図浮き彫りは,阿弥陀図,とくに浄土変相の展開を考える上できわめて重要な作例であるといえる。最後に,今後の課題として本研究は,小南海石窟と同時代につくられた南響堂山石第2に,蓮華化生をもって九品往生を表現している。往生者が方形台座や蓮華に坐5.むすび第3に,九品往生図浮き彫りにみるリボン状の線は陸水の境界を表現しており,そ-137-
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