(10) 『大般涅槃経聖行品』は北涼曇無識訳『大般涅槃経』巻第十二聖行品第七之二の前(11) 『績高僧博』巻第十六齊郡西龍山雲門寺繹僧桐傭八(12) 『中國美術全集」図版解説に「七賓□口」とある。(13) 『中國美術全集』図版解説に「五百賓樹題記」とあるが,それは誤りである。(14) 『中國美術全集』図版解説に「上品往生題記」とあるが,それは誤りである。(15) 『中國美術全集』図版解説に「中品上生」とあるが,それは誤りである。(16) 『中國美術全集』図版解説に「中品中生」とあるが,それは誤りである。(17) 『中國美術全集』図版解説に「下品中生」とあるが,それは誤りである。半に相当する。これに対し,北壁左側の施身聞侶図浮き彫りは『大般涅槃経』巻第十三聖行品第七之四による。したがって,施身聞儒図浮き彫りは窟門外側に刻まれた『大般涅槃経聖行品』に依拠していない。(18) 中村興二「西方浄土変の研究⑤」中村興二「西方浄土変の研究⑥」中村興二「西方浄土変の研究⑨」同氏は南響堂山石窟第2洞浮き彫りや萬佛寺出土浮き彫りの図像を『無量寿経』諸訳で解釈する。そして阿弥陀浄土変相の初期から中期への展開を,『無量痔経』所説から『阿弥陀経』および『観無量痔経』所説への移行としてとらえている。『日本美術工芸』第495号『日本美術工芸』第496号『日本美術工芸』第499号-139-
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