鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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アクション⑮ 1950年代における『具体美術協会」研究者:美術評論家BARBARA BERTOZZI 1950年代における『具体美術協会』1954年に大阪で結成され,1972年まで活動した具体グループは,今世紀日本の前衛の,最も独創的かつ代表的な現象である。具体のリーダー吉原治良(1905-1972)は日本のシュルレアリスムに連なる30年代に認められた画家で,50年代初頭に数人の若いアーチストを周囲に集め,国際的な美術論争に仲間入りする,しかし同時に西洋のモデルと比べて全く新しい,ひとつのアートを生みだすことを奨励した。吉原がさまざまな形で活動を支援した若いアーチストの中には,金山明,嶋本昭三,白髪富士子,白髪一雄,田中敦子,山崎つる子,鷲見康夫,吉原通雄,村上三郎,元永定正,吉田稔郎がいる。1954年から1958年にかけての具体グループの活動の初期は,素晴らしく独創性に富みかつ目立っている。具体のアーチストたちが1955年と1956年の夏に芦屋市の松林で行なった野外美術展もこの時期に遡る。これらの野外展では,水,大地,火のような自然の要素や,より多様なオブジェ・トルーヴェ:木,金属板,廃車の部品,ネオン,電気ランプで作られた作品が展示されていた。具体グループのこれらの初期の作品については,今日写真資料とグループの機関誌に載った複製資料が残っているだけである。また,1993年のヴェネツィア・ビエンナーレのような最近の展覧会の機会に同アーチストたち自身によってオリジナルに厳格に忠実に製作された一連の再製作が存在する。今日の美術批評は,60年代になってやっとアメリカとヨーロッパで生まれたオブジェとインスタレーションのアートの驚くべき先駆を,これらの特別な関心を呼ぶ作品の中に認めようとしている。これらのアーチストによって行なわれた初期のハプニングもやはりまた,グループの活動の初期に遡る。有名になった白髪一雄のハプニングは,1955年10月の東京での具体第一回の展覧会開催の機会に,美術ギャラリーの庭に,即ち唖然とした観衆の面前で,泥とセメントの溜りを作ってそこに飛び込み,15分間,泥との格闘を行なうというものだった。この行為の最後に,泥の塊は,アーチストの全身での制作による彫刻を形成するのだった。具体のハプニングは1957年5月と1958年の5月の『舞台を使用する具体美術』のタベヘと自然に発展した。-140-

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