テカ〉を開館。フォンターナ,カポグロッシ,ラウシェンバーグ,ジョーンズ,ケージなど多くの外国人アーチストを日本に招く。1965年から1972年までが,具体の第三期で,この間に新メンバーがグループに参加し,キネティック・アートのような新傾向のアートを内部に持ち込む。その中心となる機会は,1970年の大阪万博のために開催された具体フェスティバルであった。本研究は,初めに上述のように具体グループの変遷を再構成することにあった。従って,グループの活動の最も代表的な時期,すなわち結成時(1954)からグループの国際的レベルでの評価(1958-1960)までを含む時期が詳細に検討された。筆者は研究を二つの時期に分けた。1) B本での調査。具体の初期の展覧会についての資料探し。2)ニューヨーク,パリ,トリノでの調査。具体とアメリカ及びヨーロッパのアーチストとの接触の再構成。具体美術野外展と舞台を使用する具体美術協会展具体の絵画が今日まで良好な状態で保存されている一方で,1955年,1956年に芦屋市の松林で開かれた今や伝説的な『具体美術野外展』に展示された作品は,当然ながら,ほとんど残されていない。さらに,ハプニングや1957年,1958年に大阪で行なわれた『舞台を使用する具体協会展』のタベのうち,録画されたものは少ない。これらの極めて重要な出来事が時間とともに忘れ去られ,失われないために,また最終的には絵画のみに限ってではなく逆にその全体性において,『具体』現象を再構成するために,日本における私の主要な仕事は,これらの展覧会の資料を可能なかぎり多数集めること,そして,その目録を作成することであった。大阪の現代美術センターにおいて,私は当時の新聞の記事と写真を多数見つけだした。これらを分析し,また具体のアーチストたちゃこれらの展覧会の当時の目撃者であったジャーナリストたちにインタビューをも行なって,リサーチを補完した。野外展に関する資料を分析すると,不動のアートに比べての『新しい』性格がただちに明らかになる。この『新しさ』が具体のアートに浸透していた。すでに,野外に(美術館や美術ギャラリーの展示室にではなく)展示するということ自体が全く斬新であった。これに,より一層センセーショナルな,伝統的テクニックの表現に代わった,物体,物質,また自然の使用が結びつけられた。吉原治良は1955年7月7日の読-142-
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