⑮ 伊達家関係漆工資料の基本調査を3つの視点から考えてみた。研究者:仙台市博物館学芸員高橋あけみはじめに江戸時代,外様ながら六十二万石を有した伊達家では,大大名に相応しく,多数の美術品を所持していた。しかし,歴史の流れによって貴重な遺品の多くは散逸し,所在さえ判然としない。特に,漆工品はその豪華さゆえに売買の対象にされやすく,また,漆の箱類は,他の美術資料を入れるために作られたという性格から,付属品として扱われ,研究対象として観察されることも少ない。今回の調査では,伊達家という括りで漆工資料を観察する点に特色がある。伊達家の漆工資料にスポットを当てることによって,江戸時代の大名家全般における漆工資料の役割,性格などを知るための一助になればと思う。今回は伊達家の漆工資料の基準作をおさえるのみならず,文献資料の探査によって考察を深めていく手法を試みた。伊達家の場合,豊富な文書や記録類が幸いにして伝存されているためである。全国に散らばった伊達家旧蔵の漆工資料を一ヵ年で調査することは容易ではなく,現在もなお調査は継続中であるが,ここでは伊達家の歴史を踏まえながら,漆工資料1.伊達政宗時代(桃山〜江戸時代初期)の漆工資料伊達家において桃山から江戸時代初期は,大まかに言って伊達政宗の生存期間(永幸いなことに,伊達政宗関連の資料は,政宗の墓所・瑞鳳殿からの発掘資料が第一の基準となる。墓室からは,政宗の遺骸と共に主として葛蒔絵文箱,梨地菊蒔絵印籠,鉗失線蒔絵香合,梨地菊唐草蒔絵箱,黒漆筆入,梨地梅笹蒔絵硯箱,白梅蒔絵箱,梨地煙管箱,葵桐紋太刀招等の漆工資料が出土している。政宗の小姓・木村宇右衛門が書いた「木村宇右衛門覚書」には政宗の日課を書いた部分があり,その中に瑞鳳殿資料と同様のしきりのついた梨地の煙管箱の記述があり興味深い。ちなみにこの「覚書」は四代藩主・伊達綱村の頃に始まった治家記録編纂の際にも参考にされている基本資料の一つである。また,瑞鳳殿発掘資料は菊蒔絵印籠のように伝統的な技法と意匠をもつ資料と,葛蒔絵文箱や鉄線蒔絵香合のように,蒔放しや針書きなどの桃山から江禄10年・1567〜寛永13年・1636)とほぼ符合する。-147-
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