戸初期に流行した技法と意匠をもつ資料とが混在しているのが特徴といえよう。これは政宗個人の趣味ではあろうが,当時の武将の趣味を反映しているとの指摘もある。また,支倉常長がローマ法王パウロ5世に手渡した政宗の親書と共に,親書を入れた箱がバチカン図書館に伝わっている。この親書箱が第二の基準作といえよう。この箱は,いわゆる文箱よりも幅広い形状である。詳細な報告はすでに荒川浩和氏によってなされている(『漆工史』第11号)。観察すると氏の指摘にあるように,確かに布を張った形跡は見られず,あるいは渡欧に際し,急いで作らせたものなのかもしれない。この親書箱は,黒漆地に霊芝雲的なやや風変わりな牡丹唐草と,梨地に薄の意匠を肩身代わりとして表している。第三の基準作として鏑藤四郎の二重箱を挙げておく。これは,政宗が秀吉の遺品として鏑藤四郎を拝領した(慶長3年)際に作ったとされるものである。外箱は菱形の中に花文を表し,内箱には黒漆地に桐の紋を整然と並べている。双方の箱は,この時期特有の鈍く輝く高く盛った金蒔絵で文様を表している。この内箱は印籠蓋作りであるが,合口の立上がり部分には,はとんどフリーハンドで描いたと思われる南蛮唐草がある。そのおおらかさは蒔絵の掠れを苦にせぬ様子からも伺い知れる。上記3点にさらに今一つ,高屋家に伝わった薬鏑笥を比較資料として挙げてみよう。これは,5段の引き出しのある手文庫で,中には「天」「地」「人」に分けた薬が未だにぎっしりと詰まっている。引き出しの一つには硯と匙が入っている。薬錮笥の外側は総体を梨地とし,側面,扉,および把手のついた天板には秋草を配している。扉を開けると扉内面に神農の図が薄肉の高蒔絵で表され,引き出しには菊唐草が表されている。この薬競笥には政宗の侍医であった高屋松庵が,政宗から拝領したという伝承があるが,意匠,技法からみても政宗時代と見なすことができる。①梨地秋草蒔絵薬筆笥高屋安穂氏蔵-148-
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