鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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せたものだという,子規はまさに藤の花に自己を投影させたのである。今を盛りと咲く「艶にもうつくしい」枕元の藤の花から次々と歌が生れていく。藤の花が子規の内部でも拡大され,豊な実りとなり,新たな詩心を生み,次から次へと言葉が歌となっていったのである。最初は彼の身辺の様子を歌う,病床で横たわっている子規と瓶に挿されて,婉然と花房を垂れている藤,その美しさが子規に奈良の帝,京の帝の時代にまで思いを馳せて行く。そして去年の春,亀戸に藤を見た事を思い出させもした。藤は動けぬ子規を時空を超えてあらゆる所へ連れ出して行く。藤は子規の化身であった。静物画に描かれた対象が画家の化身であるのと同じように。写生というものが,単にものを見,写すだけのものならば,このような藤の花連作が子規の中からこんこんと湧き出て来ただろうか。子規にとって写生とは彼の詩魂を豊潤なものにする手段であったのかもしれない。写生が子規の世界を深いものにした,写生という行為が子規の中にある詩魂,詩心を刺激し続けたのである。寝たきりの病人の世界は,書物や友人に恵まれていても限られたものになりがちである,視界も限定され,身動きが取れないこともあり必然的に狭まれる。広く見るかわりに,彼は深く見ることをした,そこから子規の「写生」は出発したのである。最晩年,子規は自身に「草花帖」「菓物帖」と題して身近にある草花や果物の写生を日課として課していた。生きているのが奇跡のような状態の中で子規はモルヒネを呑みながら,対象にむかったのである。彼はまさに「写生」一生(彼自身の)を写していたのである。"草花の一枝を枕元に置いて,それを正直に写生して居ると,造化の秘密が段々分かって来るような気がする。”(病林六尺)研ぎ澄まされた目と精神で,彼は写生の向こうにあるもの,ものの核,世界を構成している何物かを見たのである。同時に子規自身の生命そのものを形作っているものも。また二三日後には,ある絵具とある絵具を合わせて草花を描いている,思うような色がでないとまた別の絵具を使ってみる,同じ赤でも色の違いで趣が違う事に気がつく,色のエ夫が写生の楽しみだという,そして"神様が草花を染める時も矢張こんなに工夫して楽しんで居るのであろうか”(同書)子規に残された時間は後50日もなかった,すでに草花と一体になった子規がそこにいた。-8-

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