3.家紋から見る漆工資料模様中高蒔絵」の文様がよく使われたようで,耳盟も梨地と上記の黒蟻色の二種が書かれている。また,客間用としては「黒漆鉄線唐草蒔絵」の意匠が採用されている。このように,一つの婚礼に対して,複数の意匠が用いられていることは注意すべきであろう。この他婚礼調度としては錯姫の三棚が林原美術館に伝わっている。これは現在公刊中の「観覧閣宝物目録」中にある詳細な寸法,内容物の記載と一致するものである。また昭和3年の仙台での博覧会においても,錯姫所用として伊達家から出品されている。同種の意匠の鏡台や双六盤などが東京国立博物館の所蔵となっており,姉妹で同意匠の調度を作ったのではないかとされている。この他,松島町所蔵の葵紋橘文婚礼調度や伊達重村夫人・近衛氏信子の貝桶,幕末の八代姫婚礼調度の一部や久我家からの姫のものなど,断片的に伝存している資料を見る限りでは,江戸後期の婚礼調度は,錯姫調度以外は,他の大名家と同じく黒漆地に鉄線唐草文や単に紋を散らした意匠が多く使われたようである。伊達家の家紋はよく知られた竹に雀紋の他に三引両紋,九曜紋,牡丹紋,蟹牡丹紋,雪輪薄紋などがある。このうち古くから用いているのは三引両紋と九曜紋である。竹に雀紋は天文12年頃,伊達植宗の第五子・伊達実元が上杉家に養子に入る話しが出た折りに,上杉の家紋を貰ったのが始まりとされ,上記二つの紋に比べれば新しい。竹に雀紋は一様ではなく,時代や所用者の好みによって形や葉の数も微妙に変化しており確定していない。しかしながら大まかに分類すると,政宗時代には葉の数が少なく上杉家の竹に雀紋の名残を留めているが,江戸中期頃には葉の数が多くなり,雀が細い。細部も細かく背と腹で色分けしている。江戸後期になると雀が太り大まかになる。三引両紋は二代藩主・忠宗の頃には外側にしなった形の「しない三引」を好んだようで,感仙殿出土太刀措にもしない三引が用いられているし,この頃京都において製作した瑞巌寺の政宗木像にも,しない三引が用いられている。菊紋,桐紋も伊達家の家紋に含まれるが,伝存資料は少ない。殊に桐紋は現在のところ政宗時代の資料にほぼ限定される。作例としては政宗の小姓であった蟻坂善兵衛拝領の梨地紋散らし短冊箱,古今集付属の梨地桐紋蒔絵箱,梨地菊桐紋蒔絵刀掛などがある。また,前述の伝お種所用の鏡台も桐紋を金具に施している。この時期に属さ-153-
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