宝の一つであった。次の五代藩主•吉村は近衛牡丹をそのまま用いることを憚り,い16世紀から19世紀までの伊達家に関連する資料のうち,ひとまず3点に絞って資料ぬ菊桐紋を持つ資料としては,後西院寂筆の百人一首付属の箱(宝永元年銘)があるが,ここでの菊桐紋は明らかに寂筆を意識しての使用と言えよう。この他には江戸時代後期の箱蓋裏や鏡に菊紋が使われている程度である。伊達家の紋の中で特に多くの記録を持つものは牡丹紋である。牡丹紋とは近衛牡丹のことである。伊達家では延宝8年に近衛家から拝領している。四代藩主・綱村はこれを大変に喜んだようで,旗箱に大きく近衛牡丹を表している。旗は伊達家の大切なわゆる「蟹牡丹」をつくったとされている。伝存資料としては,藩主以外には見ることが出来なかった「伊達成宗家伝秘書」を入れる箱に蟹牡丹を表している。この他,夫人たちの婚礼調度には実家の紋が用いられるため,葵紋,近衛牡丹紋,久我家の紋である笹龍胆紋,鷹司家の牡丹紋なども見られる。また,形見分けをしたのであろうか,葵紋と池田家の揚羽蝶紋がついた住吉蒔絵歌書蹴笥なども伝存している。を取り上げ,気づいた点をまとめてみた。この他,樋口肩衝や利休物相の箱なども気になるところであるが,あらためて検討したい。製作地はいずれ江戸および京都が多いと思われるが,製作者に関しては「松立斎」の銘を時折見るのみで,その他はほとんど辿ることができない。また,紋を持たぬ資料ほど贈答や婚礼に際して再利用されたと考えられ,今後は伊達家から嫁いだ各大名家を調査すべきであろう。今後も伊達家という括りでの調査は続けていきたいと考えている。-154-
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