つ。エルに王を求める長老達〉,<ダヴィデの受膏〉,<ダヴィデの戴冠〉が並んでいる。その典拠は,詩篇本文よりもサミュエル前書16章である。ただし戴冠の場面はテキストを離れ,ダヴィデの将来を象徴的に表したものと言えよう。新約図像は点数が多く,例えば68篇には詳細な受難伝場面が8コマ描かれている(注5)。詩篇本文との対応は,22節「我が渇けるときに酢を飲ませたり。」など受難を喚起する個々の章句よりも,68篇全体を受難の預言と見倣す註解の伝統によるだろう。また87篇上段にはくダヴィデと楽士〉とく十字架の周囲で受難具を持つ6天使〉。下段にはく銀貨30枚を受け取るユダ〉とくキリストの逮捕〉が描かれている。9節「我が知人を我より遠ざけ給えり…我は付されて」及び註解が,特に下段の典拠であろう。象徴的な上段とドラマティックな下段は,相補ってキリストの死に至る過程を示し,ストーリーは68篇に続くようだ。尚,旧約も新約も主題の登場する順序は,挿絵の順序とは無関係で錯綜しているが,同じ主題が2度登場することはない。64篇〔図1〕は円形構図を上下3層に分け,上段に玉座に座るキリストと聖母を中心とした天国,中段にくイヴの創造〉,<律法を授けられるモーゼ〉,<死後,天国に迎えられる騎士〉,そして下段には風俗画的な細部に満ちた地獄が描かれ,その入り口は円弧状に引き伸ばされた獣の口である。またこの円に3点が接する矩形を重ね合わせて,その4隅に4福音書記者の象徴を配している。各コマの主題は詩篇本文を離れて上下左右に対を成し,現世が時間の経過に応じて来世の間に示されている。円形構図は,完結した「世界」の全体像を矩形構図よりも効果的に視覚化している。中段の図{象は物語的な連関は持たないが,律法以前,律法の時代,律法以後と見倣し得るだろ96篇のくトマスの不信〉に続くくヨッパにおけるペテロの幻視〉とくコルネリウスの受洗〉は,詩篇本文を反映せず,使徒行伝10章に拠る珍しい主題である。しかも物語は2コマに跨って展開しており,右コマ左端から①ペテロに洗礼を依頼する使者,中央のコマに②ヨッパの幻視,再び右コマに③コルネリウスの受洗と④天使と語るコルネリウスが描かれている。説話の進行方向は通常は左から右だが,ここではコマ相互を繋ぐ逆進行が取り入れられている。このような詳細な表現が,新約挿絵以外に見られるのかどうかについて更に調査が必要である。次に旧約・新約以外の説話表現に日を転じる。61篇は上段の左からく施しをする善差夫婦〉,<病人を見舞う妻〉,<天国に迎えられる夫の魂〉,下段にく富を蓄える金持ち〉-157-
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