柱のく葡萄園の璧え〉にも表現されている(注7)。パルマの場合は,タンパンのく最後の審判〉が2つの主題を統括するプログラムを形成している。一方詩篇の場合,挿絵相互の関連は明快とは言い難いが,88篇と89篇は一つのまとまりとして主題が選ばれたのかもしれない。B.異種の主題の対比挿絵の中には,旧約と新約を対比させたタイポロジカルな構造を持つ例も少なくない。旧約は新約の予表であるとするタイポロジーの思考は,中世神学の発展の中で高度に体系化されていった。BN8846の場合は対比関係を明確に示す意図は稀薄だが,主題の組み合わせにタイポロジーが反映されているようだ。75篇では上段にく紅海渡渉〉が,下段にくカナの婚礼〉,<山上の垂訓〉,く変容〉が描かれている。上段に旧約,下段に新約の図像が並び,下段はいずれも公生涯の奇跡と布教を巡るエピソードである。詩篇本文に直接言及された主題は見当たらないが,7節をファラオの敗北とする註解もある。また紅海渡渉とカナの婚礼はいずれも水にまつわる事件である。67篇は上段にく戦闘の準備〉とくアマレク人と戦うイスラエル人〉,下段にく冥府降下〉,<昇天〉と奏楽者たちが描かれている。上段の戦闘場面の中央には,アーロンとハルに支えられたモーゼが,両腕を上げ続けて勝利を導く様子が描かれている。出エジプト記17章のこのエピソードは,傑刑の予表の一つとされてきた。また19節「高き処に昇り,伴虜を伴虜として引き連れ]など冥府降下や昇天を喚起する章句も見出だされる。ここでは傑刑の主題をモーゼ伝場面で暗示しているのだろうか。既に述べたょうに68篇に詳しい受難伝が描かれているので,67篇は同じ主題を重複させないよう,異なった語り口で受難から復活を表したのだろう。80篇と77篇は,いずれも詳しいモーゼ伝とキリスト伝の組合わせである。80篇の上殿にはく燃える芝〉,く神と対話するモーゼとアーロン〉,<ファラオの前のモーゼとアーロン〉が,中段にはく血に変わる川の水〉,<蛙,蚤,虻の災厄〉,<疫病に倒れる家畜たち〉,そして下段にはく初子の死〉,くキリストの洗礼〉,<第一の誘惑〉が描かれている。一連のエジプトの災厄が,突如キリスト伝に繋がるのは何故であろうか。<紅海譲渉〉が描かれるべきコマに,タイポロジカルに関連する<洗礼〉が充てられ,キリストの誘惑の物語は90篇に続いている。75篇と主題が入れ替わってしまったとも考えられる。尚,詩篇本文は個々の場面に厳密に呼応しているわけではなく,11節「エジ-159-
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