鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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/ われていたり,真鍮製・木製などの後補に変わっていたりするものもあるが,当初はすべて銅製の棒を台座上面に立ててこれを柄とし,像底にうがった円孔に挿したものであったとみてよい〔図8〕。像底部の円孔には栴受けとして銅管を埋め込んでいる(⑤鳥居観音像は銅管を像内からとりだすことができる〔図9〕)。なお,像底の円孔の位置はほとんどが踵の後方の裾裏であるが,⑯芦浦観音寺像,⑱正善寺像が足裏の踵辺に孔をうがっているのは,変化形と思われる。足裏から構造物をとりのぞくのが,この仕様の本義であるとすれば,それからは逸脱することとなり,この2像がこの種の像の典型からやや距離をおくものであることを想像させる。この技法とそれによる表現は本研究の主眼であるから,その意味について少しのベておこう。日本彫刻史上,本体と台座とを別に造る立像では奈良時代以来,本体の両足裏に造りだした足柄を台座に挿して立てるのが一般的である。平安時代を通観すると,例外的に,9, 10世紀の像に,足柄でなく像底中央部に造りだした柄を台座に挿す例,あるいは像底中央にうがった孔に台座からの柄を挿す例がままみられるが,ここで問題にする像のように細い2本の柄をもちいるものとはかなり印象が異なる。そうしたなかで,中国北宋の薙煕2年(985)の製作で翌年(寛和2年)に請来された京都市・清涼寺釈迦如来立像が,造像当初,台座上面に立てた細い木製の雇い柄を両足裏にうがった円孔に挿入して立てていたと推測され,このことから,ここで問題にするような像の台座への立て方を清涼寺像の影響と解する指摘がある(注3)。清涼寺釈迦像と阿弥陀如来像との間に直接的な影響関係があったとは考えにくいが,北宋代の中国彫刻にいま問題としている像に類する技法がみられることは注意を要する。図8埼玉・鳥居観音像像底\ノヽ図9埼玉・鳥居観音像の銅柄(左は銅管に挿した柄)-169-r

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