゜①,②,③からは明代の五彩が15世紀のうちに既に一定の軌道にのっていたことがし、こうした端正な作風もまた,他の多くの「古赤絵」鉢とは異質である。特に内側面の唐草文は「古赤絵」には類例がないが,成化青花碗には,蔓のひげのように巻き込んだ唐草文を,一本の細線で描いた例を見ることがある。均整のとれた配色,確かな筆致,青の使用といった点からも,②に近い年代,15世紀後半をこの鉢に与えてみた窺われるように思う。この推察を支えたのは,中国で近年進んでいる景徳鎮珠山における明代官窯址の発掘調査である。近年の発掘で元代には既に赤と緑を用いた上絵付けが試みられたことを示す陶片が落馬橋で発見されているが,ここ珠山からは,永楽年間の雑彩・紅彩,宣徳年間の雑彩・紅彩・豆彩の例が出土した。また成化年間には,いわゆる「チキン・カップ」スタイルの豆彩以外に「天」字銘を含む,多様な作風の豆彩が試みられていたことが判明した。官窯五彩に対する認識は大幅に改められつつある。これに伴って民窯五彩も当然再考されなければならない。次の④,⑤,⑥は,帝王年款を持たないが,準官窯とも言うべき作品である。④ 出光美術館蔵龍文皿「辛丑上用」銘口径20.6cm真直な口作りの簡潔な形の中型の1III.である。上質の磁土で,薄く鋭く形成されている。釉は細い高台の畳付きを除いて全面に掛かっており透明感が強い。見込み中央に雲間を飛翔する有翼の龍と宝珠を描き,外側面にも同様の龍が二体描かれている。龍は永楽や宜徳のような写実的な表現ではないが,その余韻を残した覇気ある表情を持っている。文様は全て赤で輪郭をとってから,赤・黄・緑・青で賦彩し,赤い胴体部分は顔料を細く針書きのように掻き落として,鱗を表している。緑は明るい豆青色で,青もまた水色に近い淡い色調である。余白を考慮に入れて文様と色彩を配置し,調和のとれた画面に仕上げている。高台内には赤絵で謹厳な楷書の「辛丑上用」四文字が重円圏内に書かれている。「辛丑」にあたる年としては,成化17(1481)年と嘉靖20(1541)年が考えられる。このどちらにあたるかを考える際の重要な比較資料となるものに,北京市の首都博物館所蔵の五彩龍文皿「平逢府嘉靖丙申歳造」銘がある。嘉靖丙申とは嘉靖15(1536)年で,嘉靖辛丑1541年に先立つこと5年である。描かれている文様は辛丑盤同様の雲龍波濤文であるが,小さい頭部から眼球が突出した龍の面やデフォルメの強い胴体など龍の-178-
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