9 (1514)年は,これら龍文碗の製作年代の一つの指標になり得るものである。⑥逸翁美術館蔵龍文碗「趙府製用」銘口径14.9cm逸翁美術館にはもう1点在銘の龍文碗が所蔵されている。はぼ⑤と同様の作調であるが,見込み中央には④と同様の龍文が描かれている。「趙府製用」銘は高台内二重円圏内に書かれている。高台は外側がやや内傾しており,畳付き以外が施釉されている。龍や波濤の描法・賦彩は⑤に比すると弱冠粗いように感ぜられた。五爪の龍が描かれている点から見ても,「趙府」とは永楽帝第三皇子高隧から明末まで続く,趙王に関わる名称であると推測される。⑤,⑥の龍の表情は④に比べれば覇気に乏しく,定型化したものであり,④よりはやや下る年代と思われる。かつて久志卓真氏がこのタイプの龍文碗に「甲戌春孟趙府製用」銘の入った例があると指摘された。図版がなく,この作品自体の作風は知る由もないが,甲戌として考えられた正徳④〜⑥は15世紀末から16世紀初頭の官窯周辺の,上絵付けのみの五彩赤絵である。成化年間には豆彩という精妙な五彩が完成されたが,必ず青花を伴っていた。上絵付けのみの五彩(赤によって輪郭など主要部分を描くという意味で「赤絵」と言ってもよい。)は,弘治年間に入る頃から官窯に於ても受け入れられ始めたと考えられよう。①〜⑥は,いわば徐走期間の赤絵であり,その数はやはり多いとは言えない。青花のような安定した需要と供給を持つ主要品目ではなく,おそらくは凝った技法による特殊な品目と見なされていたのであろう。それが広く受け入れられるのは,16世紀中葉にかかる頃のことと推察される。⑧逸翁美術館蔵龍文高足杯「趙府製用」銘見込み⑨逸翁美術館蔵龍文碗「趙府製用」銘-180-
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