鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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修復はまず南壁から始められる(注4)。諸聖人伝やいわゆる「テーベ」図の描かれた南壁は3ミリの厚さで壁から剥ぎ取り,埃などの洗浄ののちに17,18世紀の加筆,漆喰の除去の後,バリウムを用いた固定処理がなされた。その上で欠落している部分を中心にカゼイン,テンペラによる軽い加筆がなされた。一方,東壁の修復作業は一面に覆われた漆喰の除去が中心となる。その漆喰がいわば盾のかわりになり,雨中に含まれる硫酸塩などから壁画の表面を守ったために南壁に施したような固定処理を行う必要はなかった。この壁画で使われた“モノクローム”の手法は人物のみを褐色の土性顔料のキアロスクーロで描くというもので,15世紀トスカーナで類例を多くみつけることができる(注5)。背景などは暗い緑(テッラ・ヴェルデ),辛子色(オーカ)などの彩度の低い色で描かれる。全体としては上述の褐色と濃い灰色が支配的である。濃い褐色は台地,岩などにも使われる。その他の特徴として悪魔,水,草木に黒を用いる傾向がある。東壁と南壁では描かれた主題テーマ,構成が異なる。東壁は地上120センチの高さから天井までの間を二段にしきり,枠の中に新旧約聖書,聖フランチェスコ,聖アウグスティヌス伝の場面を描く。一方,南壁は枠を設けず,岩の突き出た山や様々な植物を散らした,なだらかに下降する野原によって分割された場面に聖人や隠修士の説話を描く。そうして,関連のない各説話を描くにあたり視覚的な統一感が得られた。選ばれた主題についても「究極の禁欲」や「世俗世界の放棄」などを共通する大きなテーマとして内容の統一性が見られる。13世紀初めより普及する聖人伝の範例は次第に地域性を帯び,様々なヴァリエーションが生まれる。例えばヒエロニムスを起源とする禁欲の範例が地域の聖人伝と組み合わされることはしばしば起こった。こうして多様化した範例の中から,サンタ・マルタの南壁に選ばれた主題の中で特異なのは修道尼伝である。外部との接触を断たれた女子修道院の回廊に,修道尼への教唆として描かれたことが興味深い。図像としても,唯一の作例として注目される(注6)。その他の主題もいずれも特殊で,ピサのカンポサントの「隠修士の生活」や,ウフィッツィ美術館の「テーベ」図の中に描かれた主題と共通する部分は「悔悟のヒエロニムス」,「聖アントニウスと聖パウルスの出会い」「聖パウルスを埋葬する聖アントニウス」のみである。しかし,ここでは聖アントニウスは修道士に見立てられ修道服を着ているところが特異である。7つのルネットのうち,壁画が残るのは6つである。左から第1ルネットにはキリ-11 -

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