鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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C)〔図3〕も実景に基づく風景画とされる。だが,E)と比較してみると,単にモチーフだけではなく,表現の点でも大きな違いがあるようにも思える。前者が比較的厳格な構成を特徴としているのに対して,この絵では,より自由な構成が行なわれている。両側に山塊を配し,その間を斜行する河と橋を導線として視線を奥へと誘っている。右手の山塊はやや斜めに迫り出し,今にも崩れそうな印象を与える。その中腹には雲さえかかっている(これはミョウバンを産出するこの地方か火山性の土地であることを示す噴気と想像される)。緑もほとんどない不毛な山地が広がり,そこを流れる河には半ば壊れかけた危なげな木橋しかかかっていない。険しい山々と対比的にごく小さく描かれている人間たち。空にはどんよりとした雲が広がり,僅かにその切れ目から陽が差している。人間と対比(ちっぽけな人間,人間の構成物たる頼りなげな木橋)することで自然の荒々しさ,雄大さを強く印象づけており,ブリガンティも述べるように,この絵はサルヴァトーレ・ローザの風景画を先取りするような,ドラマチックな佳作となっている(注9)。この絵か,タイトルで述べられているように,実景に基づくかどうかは問題であるように思える。右手の今にも崩れ落ちそうな山塊,その中腹から噴き出す火山性の噴気など,少なくとも誇張されていることは確かであろう。ローマからさほど遠くないとはいえ,画家が実際に同地まで赴いて下準備をしたかどうかも不明である。これは,E)とは異なり,地誌的な正確さを期す「景観図」というよりはむしろ,観る者に深山の険しさと壮大さとを印象づけ感興を呼び起こすような,構成された風景画としての性格が強いように思える。A)およびB)〔図1,2〕は小品であり,その形や大きさ,モチーフ(山中の河の情景と海岸の港の情景)からして,元来,対幅だったことはほば間違いない。ここには特に主題らしきものは認められず,都会に暮らす人々の気持を和ませ,また人工的な室内に潤いを与える装飾としての純粋な風景画と考えてよかろう。D)〔図4〕は最近,再発見され,ライスによって紹介された作品である。中景に円形の小神殿とピラミッド,その背後にはもう一つ別の神殿が垣間見えており,古代風の風景画である。前景には頭に荷物をのせて運ぶ女性と小鳩を手に持つ少年の姿が見える。背景には小舟の浮かぶ海を隔てて山が袋え,その背後の空には暗雲が広がっている。古代に取材した何らかの主題を持つ作品とも想像されるが,メルツによれば,サケッティ家の記録にも主題に関する言及はなく,モチーフが記述されているだけで-189-

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