鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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4. 1620年代ローマの風景画17世紀初頭のローマでは,こうしたイタリアの画家たちはもちろん,リュベンスなすでに度々,指摘されてきたように,フランドルで成立した風景画は,イタリアでは,15世紀末から16世紀初頭にかけて,まずヴェネツィアを始めとする北イタリア地域でもてはやされた。フランドルの画家たちは,この分野で傑出することが認められ,多くのフランドル風景画がイタリアにもたらされ収集される一方で,ジョヴァンニ・べソリーニやジョルジョーネ,ティツィアーノらは,自分たちでもみずみずしい風景を描いた。このように北イタリアで先行していた風景画への関心がローマに及び,風景画が普及するようになったのは,もう少し後,1600年頃からのことだった(注14)。ローマで1580年頃から起こった新たな自然主義美術は,形式偏重のマニエリスムへの反発であり,17世紀バロック美術の萌芽となったとされる(注15)。この大きな変化は,見方を変えれば,それまでローマにおいて支配的だった,フィレンツェとローマを中心とした中部イタリアの美術伝統にかわって,ティツィアーノやヴェロネーゼ,コレッジォに代表されるような北イタリアの美術がローマの人々に受け入れられるようになったという変化でもあった(注16)。そのことは,16世紀末から17世紀初頭にかけてのローマにおける新しい絵画の展開を担った二人の画家,アンニーバレ・カラッチおよびカラヴァッジォが共に北イタリアの出身者であり,共に北イタリア絵画の強い影響を受けて自らの画風を形成し,それからローマに出て活躍したことに象徴されている。どアルプス北方からこの町にやってきた画家たちも多く活躍した。「静物画も人物画も苦労する点では同様だ」というカラヴァッジォのよく知られた発言は,伝統にとらわれない美術観の表明として極めて刺激的だが,彼に代表されるような新しい世代の画家たちによって,ローマでは,それまでとは違う新しい絵画が次々と生み出されたのである。風景画だけではなく静物画や風俗画も,この頃からローマでもてはやされ始めた。先の発言にもあるように,カラヴァッジォが静物画や風俗画を多数手掛けたことは周知だが,17世紀ローマ古典主義美術の基礎を築いたとされるアンニーバレ・カラッチも,初期には,静物画(『肉屋の光景』:シルヴァーノ・ローディコレクション)(注17)や風俗画(「豆を食べる人」:コロンナ美術館,『肉屋の店先』:オックスフォー-192-

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