ド,クライストチャーチ・カレッジ,など)を描いている(注18)。バンボッチアンティと呼ばれる画家たちによるローマ風俗画もこの時期に生まれ,次第にもてはやされるようになった。風景画の分野でも新しい動きは際立っていた。世紀の転換期にあって,ローマの風景画界を支えていたのはフィレンツェ出身で1570年代からこの町に移り住んだテンペスタ(1555年〜1630年)と,1580年代にローマに現れて活動したパウル・ブリル(1554年〜1626年)だった(注19)。前者は,ほとんどパターン化した騎馬人物や猟犬が登場する狩猟図〔図8〕などを得意とし,また後者は,様々な人物を雄大な風景に点景として配する,細部描写を特色とする風景画〔図9〕などを多く描いている。図8アントーニオ・テンペスタ,『ライオン狩](30X54cm) (ローマ,ボルゲーゼ美術館)図10アンニーバレ・カラッチ,「エジプトヘの逃避』(122X 230cm) (ローマ,ドリア・パンフィーリ美術館)図9ポール・プリル,『狩の風景』(55X85cm)(ローマ,ドリア・パンフィーリ美術館)-193-
元のページ ../index.html#201