鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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1620年代の半ばになると,プッサンやクロード・ロランもローマに登場し,活躍をローマにおける風景画が,これら16世紀の伝統に連なる画家たちによってリードされていた中にあって,アンニーバレ・カラッチは,ドーリア・パンフィーリ美術館所蔵の『エジプトヘの逃避』〔図10〕にみられるように,厳密な構成に基づいて定められた位置に,古代風の都市や田園,河の流れや森林を配することによって,人工の景観と自然の景観とを調和させて描き出す風景画を作り出した。彼の風景画では,個々のモチーフは現実的でありながら,全体として生み出された画面はユートピア的な理想の世界を具現しており,いわゆる「理想風景画」の出発点となった(注20)。アンニーバレの後を継いで活躍したドメニキーノやアルバーニらボローニャ出身の画家たちは風景画家としても活動し,イーゼル絵画だけでなく,本格的な室内装飾の分野でも風景表現を主体とする作品を制作した。特にアンニーバレの最も重要な後継者と目されていたドメニキーノは,すでに17世紀初頭から,自然主義的な小型の風景画を多数描き,フレスコ画の分野でも,例えば1618年から20年にかけて,フラスカーティのアルドブランディーニ枢機卿の別邸内ニンファエウムに,アポローンの物語に取材し,野外の情景を舞台とした一連の絵画を描いて,その後に大きな影響を与えた(注21)。カラヴァッジォは自身では風景画に手を染めなかったにしても,彼の強い影響を受けたエルスハイマーは,星空や月を現実的に表現した夜景など自然観察に基づく風景画を描いて自然の新しい見方を人々に示した(注22)。そして彼もまた,多くの追随者を持った。開始する。コルドーナが風景画を描いていた1620年代,ローマの風景画界では,古い世代を代表するアントニオ・テンペスタやパウル・ブリルらは既に過去の人物となりつつあり,アンニーバレ・カラッチの影響を受けた新しい世代の風景画家たちによる理想風景画や,ェルスハイマーやその追随者たちによる自然主義的風景画など,風景画の多様化が進みつつあったのである。先ほど触れたが,マンチーニによれば,コルトーナが若いころ描いた『リーバ・グランデの夜景』で際立っていたのは,細部まで描かれたその仕上げにあった。この記事だけから想像すると,この絵がエルスハイマーの夜景を思わせるような作品だったように想像されるが,風景画について,コルトーナに大きな影響を与えたとされるの-194-

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