は,彼と同郷の出身であり,カラッチの流派にあって果物などの静物や風景の表現で知られていたピエトロ・パオロ・ボンツィ(1576年頃〜1636年)である(注23)。ボンツィはドメニキーノと並んでカラッチの最初の弟子の一人だったヴィオーラ(1570年■1622年)に学んだ。彼はコルトーナと同郷であったのみならず,1620年から24年にかけてローマのパラッツォ・マッテイの室内装飾を手掛けた際,人物場面は若き日のコルトーナに手伝わせ,共同で作業したことも記録に残っている。このマイナーな画家は,とりわけ近年になって再評価が進み,それまでアゴスティーノ・タッシの作とされていたかなりの数の風景画が,最近はボンツィの作とされつつある。またこれとは別に,彼が晩年のパウル・ブリルのアシスタントないし共同製作者として活動したことが知られ,サレルノは,晩年,ブリルの風景画が自然らしさを増すのは,次第にボンツィに任される部分が増えたためであると考えている。この研究者はまた,ボンツィの風景画は作品数こそ少なからざるものがあるが,基本的にドメニキーノやアルバーニのそれに倣ったものであり,独創性には欠けると評価する。彼が挙げているボンツィの作品のうち,例えば『聖セバスティアヌスの殉教のある風景』(ローマ,カピトリーノ美術館)や『羊の群れのある風景』(同上)など,風景の広がりを示そうとする姿勢は感じられるが,コルトーナの作品に認められるような雄大さには欠けるように思える。だが,コルトーナの風景画,とりわけその最も主要な『二つの神殿のある風景』や『聖ペテロと聖アンデレの招命のある風景』などは,むしろ,ドメニキーノやアンニーバレ・カラッチの風景に直接つながるものを感じさせる。『カステル・フザーノの景観』の前景にある,運河で船を漕ぐ人物の姿は,アンニーバレの『エジプトヘの逃避』に登場する同様の人物やドメニキーノが1621年から22年にかけてローマのウィッラ・ルドヴィーシにフレスコで描いた一風景場面に登場する同様の人物とモチーフの点で類似している。もちろん,こうした特徴的な形態はコンテクストを離れて用いられ続けるものであり,例えばヴィオラの絵にも登場したりしている(『洪水のある狩の風景』:ドーリア・パンフィーリ美術館蔵)(注24)が,ある種の理念上の類縁性を想像させないものでもない。他方,コルトーナの風景画の大きな特徴ともなっている,大地を俯暇するような視禅の高さは,やはりカラッチの弟子ではあるものの,ドメニキーノと大きく異なるドラマチックで明るい画面を創造したランフランコの,『天使に連れられて昇天するマグ-195-
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