ことを示したのはゴンブリッチだった(注32)。風景画に限らず,西欧におけるルネサンス以降の美術理論が,古代の弁論術や詩論の強い影響の元に発展したことは繰り返して論じられてきた(注33)。例えば,17世紀の初めに,アグッキは,断片的に残された絵画論で,カラッチは現実を理想化して描き,バッサーノは現実をそれ以下に,そしてカラヴァッジォは現実を有りのままに描いた,と述べるが,この見解は,アリストテレスの詩論第二章における,詩の再現対象の三区分を下敷きにしている(注34)。古代ローマにおける弁論術について伝えるクインティリアーヌスの『弁論家の教育』では,第12巻の第10章で弁論文の種々の様式について論じ,雄弁で力強い「アッティ力風弁論」と大げさで空虚な「アジア風弁論」そしてその中間の「ロードス風弁論」を区別する(注35)。同様にキケローも,際立って修辞的な「崇高な弁論」,平明な論述のための「単純な弁論」,そして両者の中間形態である「中庸な弁論」を区別している(注36)。クインティリアーヌスは,アリストテレス同様に,こうした区分をより明確に示すため,彫刻家や画家の作風の違いを引き合いに出しており,そうしたことも,弁論術の理論がルネサンス以降の造形芸術理論に影響を与える一因となった。風景画において,16世紀以降,次第に普及していったジャンル区別には,こうした弁論術や詩論に基づく美術表現の区分はもとより,ウィトルーウィウスが伝える古代の舞台背景の区別の影響もあったとゴンブリッチは指摘する。つまり,ウィトルーウィウスはく悲劇〉とく喜劇〉,<風刺劇〉の舞台背景を区別しており,悲劇には円柱や彫像などがある,君主にふさわしいような情景,喜劇にはごく普通の住居のバルコニーや窓,風刺劇には木々や洞窟,山など風景の要素が描かれるべきである,としているのだが,こうした舞台背景の区別が風景画の区分につながったとされるのである。16世紀末,ロマッツォがその絵画論で風景画を取り上げ,描かれる情景によって区分しているが,これもそうしたジャンル分けの一例である。興味深いのはロマッツォが,「際立った場所」,「宿屋や市場」,そして「不気味な洞窟」という,ウィトルーウィウスの舞台背景のそれぞれに対応するような風景画の区別を行なっていることである(もっとも彼は「喜ばしい場所」という別の一項目を設けているが,ゴンブリッチは,ロマッツォが必ずしも体系的ではないことを指摘する)。そしてこの研究者によれば,これらの区分が,やがて17世紀のローマで普及する,ア-198-
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