大聖堂,聖具室の壁画装飾を手掛けた画家と同一人物がそれを描いたと指摘した(注10)。コールマンは「テーベ」図を扱った論文中簡単にそれに触れ,画家としてグアルティエリ・ジョヴァンニの名を挙げる(注11)。その後ボスコヴィッツがシエナ大聖堂聖具室の画家との関連において様式からサンタ・マルタの画家をベネデット・ディ・ビンドに帰属する(注12)。モンジェラは古文書による同画家への帰属を試みる(注13)。しかし,何れもサンタ・マルタの南壁の一部の場面について行われた分析であり,各場面の様式について詳細に考察された研究はなおざりにされていた。筆者は少なくとも二人以上の画家が関与していたと考える。ベネデット・ディ・ビンドは1980年にボスコヴィッツが紹介するまでほとんど無名に近い画家であった。生年は不明であるが,シエナの画家として15世紀の初めに活動を始め,若くして1417年ころに亡くなったことが知られる(注14)。早熟な画家の代表作と考えられるのがシエナ大聖堂の聖具室におけるフレスコ装飾である。この壁画は1906年に発見されたあと,ルッシーニにより紹介されるが,注意深く研究されたのは1930年代に入りようやくベレンソンによって始められた(注15)。ベレンソンはグアルティエッリ・ディ・ジョヴァンニを中心とする工房によって大聖堂内聖具室の3礼拝堂全てが装飾されたと考える(注16)。その後を受けて,ブランディは中央の礼拝堂に揺かれた主題がマリア伝であることから,「マリアの生涯の画家」と名づけ,様式の類似する複数の画家と比較する(注17)。1940年代に入り,バッチはシェナの画家,建築家,彫刻家についての古文書を体系的にまとめた成果を基にし,シエナ大聖堂聖具室の遺物収蔵庫の装飾板絵を1412年に賃金の支払いを受けたベネデット・ディ・ビンドに帰属する(注18)。この帰属はポープ・ヘネシー,カルリによっても確認される(注19)。これらの研究史を踏まえた上で,様式の上からボスコヴィッツはベネデット・ディ・ビンドに聖具室の画家を考える。ボスコヴィッツはサンタ・マルタの「テーベ」について,サン・ドナートの聖母子イ象とともにベネデット・ディ・ビンドの1410年以前の作品であると指摘するが,それ以上の言及はない。私見では南壁の左部分のみ聖具室の画家との関連性が認められ,南壁の右部分(第5ルネット以降)と東壁は様式の違いから第2の画家と考える。第2ルネットの「会話をする三人の僧」(2-C)の老僧の相貌がシエナ大聖堂聖具室の中央礼拝堂の装飾壁画の1つ「聖母の宮参り」中のヤコブに近い。肩の厚く頑丈な骨柁,緊張し引き締まった口元,眼窯が落ちくぼみ,彫りの深い顔だちが共通する。人-13-
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