鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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⑪ 隋彫刻の成立過程とその意義に関する考察一在米の中国彫刻及びインド・東南アジア彫刻の調査を通じて一(過渡期の中国彫刻にみられる東南アジア的なモチーフについて)研究者:京都大学大学院文学研究科博士課程はじめに中国の6世紀後半から7世紀初頭にかけての北斉,北周,隋彫刻は,北魏後期に成立した抽象的,絵画的な竜門様式が崩壊して,唐彫刻という新しい彫塑的,現実的な様式を成立させるための大きな過渡的な様式としての意義を占めている。この過渡的様式がどのようにして成立したか,という問題についてはすでにオスワルド・シレン氏以米,おおくの先学が,インドのグプタ様式を受容することによって成立したという学説を提起してきている(注1),そして,アレクサンダー・ソーパー氏(注2)やマイケル・サリバン氏(注3),あるいは岡田健氏(注4)など,一部の学者によって,グプタ様式を含めたインドの彫刻様式が東南アジア諸国を経由して中国に流入し,中国彫刻に影響をあたえた可能性がつよいという注目すべき説も提起されている。しかしこれらの指摘も,インドの彫刻様式が東南アジア諸国を経由して中国彫刻に影響を与えたという漠然としたルートの指摘にとどまるものであって,中国彫刻が東南アジア彫刻のいかなる要素を受容したか,という具体的な受容の実態が実証的に解明されているわけではない。本論文は,すでに提起された先学の研究,すなわちインドの彫刻様式の東南アジア経由説をふまえながら,過渡期の中国彫刻に影響を与えた東南アジア的な要素の実態を如来像と菩薩像にわけ,それぞれについて,身体表現,著衣の形式,それに図像形式などを取り上げて具体的に解明したいとおもう。さて,本論文では,四川省成都万佛寺址から出土した作例や天竜山石窟16洞の作例に焦点を絞って考察をすすめていくことを断っておきたい。その理由は,四川省万佛寺や天竜山16洞の作例には,いわゆる東南アジア的な要素がもっとも濃厚にみられるからである。また本論でいう東南アジアの地域的な概念はスリランカからインドシナ半島にいたる南海諸国を広く含めて使用していることもあわせて断っておきたい。1.如来像1)四川省成都万佛寺址から出土した鄭證京-208-

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