鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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南インドや東南アジアの如来像とやや違っている。しかし,こうした部分的な形式上の違いは,南インドや東南アジアの如来像の垂直の製が左腕で裳裾を掛けあげることによって生じたのに対し,梁中大通元年銘像では襲の本来の畳まれ方とは違って,衿から垂下する一種の装飾的な装として変形されることによって成立したものと考えられる。こうしてみてくると,梁中大通元年銘像は,通肩の著衣形式や微妙なモデリングをみせる身体表現などの点では,インド・グプタ彫刻の基本的な表現を継承しながらも,衣の表面に表される二種類の衣文線の表現は,東南アジアの偏祖右肩像の著衣形式を採用していることか理解されるのである。いいかえれば,梁中大通元年銘像は,インド・グプタ朝の如来像を唯一の原形として成立したのではなく,グプタ佛像とは系統を異にする南インドや東南アジアの如来像の特色も併せて摂取しているのである。2)天竜山16洞如米坐像について〔図7〕天竜山16洞においては,石窟の北,南,東の三面に寵室をもうけ,それぞれの寵室に如来坐像を安置している。この石窟は銘文はないが,様式的な観点から北斉期の6世紀後半に造営された石窟と推定されている。イ)身体表現:強く張った肩から細い腰にいたる身体の輪郭線が著しく変化に富んでいる点,薄い衣を通して身体の豊かな量感を明瞭に感じとらせている点などが,インド・グプタ様式〔図8〕に類似している。このことは,すでにオスワルド・シレン氏以来おおくの先学によって指摘されてきた通りである(注8)。ところでこれらの指摘とは別に,天竜山16洞の身体表現には,インド・グプタ朝の如来坐像にはみられないふたつの特徴が指摘されるのである。それは,一つは頭部の上に肉髯をまったく表現していない点,そしてもう一つは両脚の組み方が上下に積み上げているだけであって,いわゆる完全な結珈跛坐を組んではいないという2点である。それに対しインド・グプタ朝の坐像においては,頭部の上には必ず肉髯を明瞭に盛り上げて表現するとともに,両脚も完全な結珈践坐を組んでいる。このような両者の違いをみてくると,天竜山16洞の如来坐像がインド・グプタ朝の坐像を原形として成立したと推定したシレン以来の学説に疑問か生じてくるのである。それに対し,天竜山16洞像に指摘される二つの特徴,つまり頭部に肉髯表現しない点と両脚を上下に積み上げる表現は,南インドのアマラーヴァティー派の仏像〔図9〕で採用される重要な特徴である。さきに如来立像で指摘したのと同様に,インド南部のアマラーヴァティー派の如来坐像は,--211_

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