鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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体の線を感じさせない重たげな衣製も類似している。しかしながら,聖具室の壁画は様式,文献からベネデット・ディ・ビンドに推定することは可能であるが,壁画の画家を知る文献の存在しないサンタ・マルタの場合,様式のみからベネデット・ディ・ビンドに帰属するのは確証が乏しい。南壁の左部分の各場面にタッデオ・ディ・バルトロの強い影響が見られることから,その工房で働いた画家の中より,グアルティエッリ・ディ・ジョヴァンニを再考したい(注20)。グアルティエッリ・ディ・ジョヴァンニについての乏しい文献によれば,ピサ出身でシエナでは1409年から1445年の間に活躍したことが知られる(注21)。ボスコヴィッツは「サン・ダヴィーノの画家」と同ーであるという仮説をたてる(注22)。その画家に帰属されるオハイオ州アクトン美術研究所の「祝福をするキリスト,聖母子像と諸聖人」(N5810)の聖アントニウスとサンタ・マルタの壁画中の修道士との様式の類似が認められる。また,タッデオ・ディ・ジョヴァンニの工房で働き,聖具室装飾に関する古文書にも名が現われる,ニッコロ・ディ・ナルドについては共通する様式が認められるものの,古文書には1409年と1410年にのみ記述があることや,シエナに彼の作品として知られるものが少ないことから,シエナ滞在の短かった画家と思われ,サンタ・マルタの壁画を手掛けたとは考えにくい(注23)。聖具室の画家がサンタ・マルタの壁画をも制作したとするならば,サンタ・マルタの壁画が聖具室の壁画より以前に描かれたと考えるのは難しい。なぜなら,サンタ・マルタの壁画の人物が柔和でより洗練された表現であり,画家の最晩年の作品と考えられるミネアポリス美術研究所の「聖ルチア」に様式が近いからである(注24)。サンタ・マルタの第2の画家については,「自殺をする修道女」の場面に見られる華奢な人物の表現から聖具室の装飾にも携わったジョヴァンニ・ディ・ビンデイ1_ノを考えてみたい(注25)。シエナの古文書館に残るペン書きのデッサンに見られる人物のすらりと伸びた細い鼻,骨格を感じさせない細身の身体,薄く柔らかく地に落ちる衣襲などが共通する(注26)。ビンディーノのウンブリア滞在については不明の点が多く,そのジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ的要素の受容について研究の必要がある。いずれにしても,サンタ・マルタはウンブリア体験以前の仕事と考えられる。アウグスティヌス会にとって,隠修士的な行為が腺ばれたのは聖アウグスティヌスが荒野で修行した伝説になぞらえて,実際は13世紀に過ぎない会の創立をより古いものに粉飾するためであった。サンタ・マルタにおいても,会の設立に関する政治的なプロパガンダとして聖ヒエロニムスや聖パウルスの説話伝が描かれる。回廊の東壁が-14 -

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