鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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がはかならぬヴィシュヌ像に固有なシンボルと類似していることは,万佛寺台座の彫刻にヒンドゥー教の図像か影響を与えている可能性を顧慮する必要があるのではないか。さて,こうした推測は,中央菩薩像の右側(向かって左側)にたつ菩薩像においても同様に指摘することが可能である。右側菩薩像は,右手を腰にかまえ,左手は頭上に高く挙げ,金剛鈴のような持物をもっている。ところが,仏教の菩薩像には,インド・グプタ朝はいうまでもなく,東南アジアの遺品のなかにも,このような姿勢をしめす作例はまったく存在しないのである。それに対し,ヒンドゥー教の神像にはこれに類似した姿勢をみせる作例を頻繁にみることができる。すなわち,「ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナ」像〔図31〕は,万佛寺台座の右側菩薩像にみられるように,いずれも左手を高く挙げ,右手を腰に構える姿勢をみせるのである。ゴーバルダナ山を持ち上げるという主題のクリシュナ像の遺品は,インド・グプタ朝は勿論,6 世紀まで遡るカンボジアの遺品も残っている〔図32〕。このような,仏教の菩薩像に採用されたことのない独特な姿勢が万佛寺台座の菩薩像に採用されるためには,やはり同一のポーズをとるクリシュナ像が原形としてあらかじめ存在していた事実を想定しなくては到底解明できないことと思われる。このほか中央菩薩像の左側には象頭人身のガネーシャが表されているが,このガネーシャがヒンドゥー教の神像であることもよく知られている事実である。以上,万佛寺台座の菩薩像は,身体表現と著衣の形式,そして図像的な形式の三つの観点からする検討を通じて東南アジアのヒンドゥー教彫刻との関連性がつよく指摘された。このようにみてくると,万佛寺の台座彫刻が成立する契機として,東南アジアのヒンドゥー教彫刻を原形として成立した可能性がもっともおおきいと考えざるをえない。しかしそれではなぜ6世紀の四川省で制作された仏教彫刻がヒンドゥー教の彫刻の影響がつよく反映しているのか,という宗教的,信仰的な問題に関しては,本論で直ちに明瞭な解答を提示することはできない。ただ,ここでは,中国が東南アジア彫刻を摂取する際に,仏教彫刻とヒンドゥー教の図像形式を厳密に区別できず,ぃわば両者を混同して摂取した可能性と,それとは別に,東南アジアにおいてヒンドゥー教と仏教の図像が混交したあと,中国に伝来したというふたつの可能性を指摘するにとどめておきたい。アレクサンダー・ソーパ氏は,カンボジアにおいては頻繁にヒンドゥー教のシヴァ神が仏教の観音菩薩としてまつられていたことを指摘しているが,-220-

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