注II 調査中の壁画の中間報告(1) "Milla de Conti d'Elci"という高貴な家柄出身の女性が1328年に聖堂参事会に援generale 106, c. 68v., ottobre 21 1328) (2) サンタ・マルタの歴史については上述の古文書のほか以下の文献を参照;AntonioPecci, Ristretto delle coe piu'notebili della citta'di Siena Ansode'forestieri, 2段組の枠の中に説話を描くという当時のシエナに,一般的な修道院回廊装飾の構成にならっていたのに対し,南壁ではピサ,カンポサントの「テーベ」とも異なる無作為な画面構成で聖人ではなく,修道士一般の行状を語る説話を多く選んでいるのが独創的である。同じアウグスティヌス会のレッチェート修道院においては聖アウグスティヌス伝や聖ヒエロニムス伝といった名のある聖人の説話をイコノグラフィに忠実に描いて回廊を飾った。同修道院がトスカーナにおける同会の本山であり,サンタ・マルタが一女子修道院であったことを考えれば,制度的組織化が托鉢修道院のなかでも著しく進んでいたアウグスティヌス修道会において修道院間の立場の差異が装飾にも見られることは当然であると同時に興味深いものといえる。サン・タンティモの1日食堂に描かれた「聖ベネディクトゥス伝」の修復は終了しているが,書類上の手続きが完了していないので堂室内は立入が禁止されている。非公式な調査は1993年8月に行った。発表については文化財研究所の指示待ちの状態である。サン・サルヴィの回廊壁画は1966年アルノ川の氾濫の際に壊滅的な被害を受け,1992年の調査では教会から回廊へ導く前室の堕面以外はほとんど主題が読み取れない状態であった。フィレンツェ市の第12地区事務所が1979年に同教会,修道院の歴史を編纂している。しかし,失われた壁画についての供述はない。それに加えて,1994年4月に落雷があり,現在内部にはいることはできない。以上の2つの作例は職業画家でない一修道士によって描かれたものと類推され,様式,手法ともに酷似する点に関心がもたれる。筆者は,1994年中には調査に区切りをつけ1995年に総括する予定で作業を進めたい。助の申請を提出し25リラを受けとったことがシェナの古文書に記載される。(Consiglio-15 -
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