序1912年4月19日東京に生まれた画家松本竣介が,画家としての制作活動を本格的に⑫ 松本竣介研究ー1912■1948-研究者:平塚市美術館主任学芸員小松崎拓男行ったのは,1935年の二科展入選ごろから1948年6月8日に自宅での心臓衰弱によって没するまでのわずか13年余でしかない。しかもその時期は,さまざまな芸術活動にとって最も困難な時代であった日中戦争と太平洋戦争という日本の戦争の時代に当たっている。しかし,こうした不幸な時代と制作活動の期間が重なり,しかもきわめて短い作品制作の期間しか持ち得なかった画家であったにもかかわらず,日本の近代美術史において特筆すべき存在であることは,その質の高い作品群が示すとおりである。また日本の近代美術が,東京美術学校や各種の美術団体など,常に欧米に留学した美術家たちによって主導されてきた事実から見ると,留学経験もなく,流行する欧米のイズムにも直接影響されることなく,明治以降日本に移植された油彩画の世界において,具象絵画を中心に独自の世界を築き上げた松本竣介は,日本の近代美術を代表する個性的な画家の一人として評価されるべきであろう。さらに戦前から戦後美術へ連なる歴史の結節点に立つ画家の一人としても重要な存在であるのはいうまでもない。だが,こうした日本の近代美術を語る上で欠くことのできない画家の一人である松本竣介に関する研究は,その関心の高さに比して決して充分に尽くされたとはいい難いのが現状である。特に,松本竣介に対する「夭折の画家」あるいは「抵抗の画家」という紋切り型の評価は,その実像を見い出すことを困難にするばかりか,作品に対する客観的な評価をも困難にするように思える。ここでは,美術史研究の基礎的方法に立ち戻り,その「生涯」と「作品」にかかわる基本問題において,これまでの研究過程で明らかにすることができた,「作品」に関する研究成果を中心に報告することとしたい。これまでの作品論についてこれまで松本竣介の作品については,一部の作品についての論稿(注1)はあるものの,作品全体を体系的に分析し,論究した研究はない。また,評伝類の叙述におい-223-
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