鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
236/475

戦後期の作品戦後の松本の動向や事歴についてはここでは触れない。ただこの時期が,戦争直後から1948年6月8日に病没するまでの約3年という非常に短い期間であったことと,それが戦後の混乱期という絵画制作には戦中以上の困難を感じざるを得ない時期であったことだけは留意すべきだろう。だが,その困難な時期に松本は思いのほか多くの作品を制作しているといえるかもしれない。この戦後作品の最も特徴となる点を挙げるなら,それは抽象表現の台頭であろう。戦前の時期の作品の一部(注6)を除き,松本は常に具象作家として制作を続けている。しかし,1947年ごろに制作されたという作品〔図22■23〕は一見してキュビズムから影響を受けた抽象的な作品といえるだろう。さらに色彩的には好んで赤褐色の色彩が用いられている。これは土や岩などを原料とした安価なアンバー系統の絵の具が比較的入手しやすかったという,当時の画材の流通事情によるのではないかと想像される。さて,このような抽象表現で描かれた作品のモチーフを見てみると,ここでも戦前期と同じように「建物(都会風景)」と「人物」の2つのテーマが扱われており,それぞれは主として独立した画面に別々に描かれている。このほか,子供の描いた絵を素材にした,転写によるタブローの制作という実験的な制作が行われ,このような絵画の実験的な方法は松本の絵画制作にみられるひとつの特徴である。日本近代美術が油彩導入過程において素材に関する十分な研究と,制作における材料学的方法論を見落として始まったために,多くの油彩作家がその素材にたいしてきわめて無関心であり続けたということと,松本のこのような実験的精神は好対照を示しているだろう。パレットによる色彩実験,トレーシングペーパーによる逆転写の方法,キャンバスの下地の研究など,松本のタブローにおける複雑で微妙なマチェールの見事な形成はこうした実験精神,すなわち科学的,理知的精神の結果といえる。このことは,文人的性格と方法によって科学的方法論を欠如させたまま,ヨーロッパにおいて成立したイズムを敷術しながら,日本の洋画壇に「日本的油彩画」の様式が氾濫した事実に対する批判をなすものである。無論こうした「H本的油彩画」を描いた画家たちの業績は決して小さくない。しかしこれらを必要以上に過大に評価し,賞揚してきた日本の洋画史はもう一度新たな観点から見直す必要性があるように思われる。-228-

元のページ  ../index.html#236

このブックを見る