は,純粋に線で構成された絵画に近い,太い直線と細い線によるあるリズムを感じさせ,具体的な事物から発せられる情感や,心情といったものをこの絵から読み取ろうとすることよりも,この部分だけを見る限り,造形的な問題が松本の主題となっていると想像されるのである。すなわち,このY市の橋のシリーズを継続させていた頃から,松本の絵画上の関心が造形的な問題へと移りはじめ,それが結果として抽象性の高い作品の制作へと連なっていったと思われる。戦後の松本はこの線とその線によって囲まれる面をいかに画面のなかで構成していくかという問題を立体派的手法のもとに実験的に試みていく。しかも画風は短期間のうちに激しく変わる。絶筆以前「しばらくアトリエに行かないと,次に出力~けたときには部屋の様子も変わっていたし,作品もがらりと変わっていることが度々であった」(注7)という麻生三郎がいうように,松本の戦後の作品は短い期間に目まぐるしく変化した。その主題は純粋に絵画における造形上の問題に移行している。前述の麻生は「フォルムが全面におしだされた。明暗や面が整理された絵になっていた」(注8)と述べるとともに,それが「これまでの仕事の否定の宣言のようであった」(注9)といっている。また同様に松本の終生の友人の一人である彫刻家舟越保武も「彫刻的な構成が特に見えてきたように思われる」(注10)と述べている。そしてこの頃松本が油土などによって小さな塑像制作をおこなっていたことを指摘している。松本の制作を比較的近くで見てきた二人の友人の言は戦後の松本の制作がこれまでの制作とは質を異にして,新たな模索の時期に入っていたことを裏付けているとともに,それが一方において,線や面で構成されるフォルムの追及であり,また他方においては,対象の量的把握を一つの課題としていたといえる。だがこの「フォルム」と「量」という造形的な課題をそれ以上に試みるための時間も,またその答えを見い出す時間も松本には残されていなかった。注8同注7麻生三郎「松本竣介回想」『松本竣介画集』平凡社1965年P118 注9同-230-
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