6, 9, 12, 13, 14, 15, 18, 19, 21, 23)。25)。江戸時代制作のNo.25ホノルル美術館本においては,榊装着のための榊金具も確24, 25),うち何点かの作品では,さらにその隣に梅の木を描くことが定型化しているさらに参道を西へ進むと,二鳥居と一鳥居の中間辺りで,鬱蒼と茂る杉木立をくぐる。この植生は現在も同様である。杉の葉の緑青が剥落してしまった作品がおおいが,この杉木立もまた,多くの作品で定型的に描きつづけられたモチーフである(No.5, ⑤ ―鳥居周辺一烏居の北方丸柱に取りつけられた榊を描く作品が何点かある(No.5, 6, 13, 24, 認しうる。一鳥居の南側には,周知の影向松がそびえる。春日明神が降臨すると伝える神木で,ほとんど例外なく諸作品に登場している。注目されるのは,多くの作品で,この影向松の隣に桜もしくは松を配し(No.5, 6, 7, 9, 13, 14, 16, 18, 19, 20, 22, 23, ことである(No.5, 6, 18, 19)。その中では,No.5湯木本がもっとも古く〔図15〕,鎌倉時代14世紀のNo.6バークコレクション本も同様である〔図16〕。影向松の隣の樹木については,春日験記に付属して伝来した披見台の図柄が参考になる。一鳥居の右手には,2本の松が寄り添うように描かれている。やはり,おそらく実際の観察をもとにかきこまれた樹木の組み合わせが,紙形をつうじて継承され,定型化されたのだと考えられる。影向松の上方に目をやると,同一の根株から群生したとみられる,特徴的な杉の樹群が描かれる(No.5,7, 14, 16, 19, 22, 25)。No.5湯木本では2本だが,鎌倉時代14世紀のNo.6バークコレクション本では5本となる〔図17〕。南北朝時代のNo.16大和文華館本やNo.14南市町本では本数が増え,ことに南市町本では9本と多く,その形態も誇張されている〔図18〕。春日社の境内では,現在でもこのような杉の植生がみられ,植物学上貴重な資料となっているという(注15)。以上,春日宮曼荼羅の植物モチーフを検討してきた。一見すると,風景は背景として描かれ,木々は社頭に漫然と配されているかにみえる。しかしそうした木々の中でも,実は定められた型として描き継がれているものが少なくないことが明らかになった。風景もまた図像の一部として,相対的な厳格さのもとに継承されている。継承の必然性を説く根拠を,記録には見出せない。しかし,以下の2点は指摘しうるであろう。1つは,表現上の要請ということである。すなわち,杜頭の現実感の表出のため-250-
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