鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
261/475

1)ーブランド美術館本熊野宮曼荼羅や,大和文華館所蔵の笠置曼荼羅などがそれであ同一同形のモチーフが再々登場している。同一紙形の反復使用は明らかである。植物モチーフについてさらに言えば,決まった位置に繰り返し登場する,特徴ある形態の枝幹や蔦などの描写は,やはり春日宮曼荼羅の場合と同じく,制作に先立つ絵師の杜頭踏査を予想させる。本絵巻中の,鹿の多彩な生態描写に着目されて,やはり絵師の南都における実地観察の可能性を示唆された,秋山光和氏の指摘も想起される(注21)。なお春日験記では,春日社以外の社寺も描かれている。興福寺の諸堂,石清水八幡宮,嵯峨釈迦堂などである(注22)。とりわけ,石清水八幡宮の場面(巻12第5段)は,一遍聖絵巻9第1段,および根津美術館本石清水八幡宮曼荼羅などと,共通する図様をしめしている。さらに3者共,絵巻でいう逆勝手の構図で描かれている。紙形が,制作目的や画面形態を異にする作品群の背景に,水脈となって流通している様子がうかがえる。1300年前後における絵巻の双璧をなすこの両画巻は,鎌倉時代における紙形の蓄積の実情を語る好例となっている。こうした社寺景観図の広がりは,無論絵巻のみに特有な現象であったのではない。掛幅装の大画面説話画は,公の空間での懸用を前提とする画面形式である点で,この時代以降,説話画の主流となった感がある(注23)。それらの多くは,画中に社寺景観を描いている。そして掛幅装説話画には,地方的作風の作品が少なくない。絵巻にくらべ,絵画の受容者層の広がりと,軌を一にしていた画面形態であったといえる。杜寺景観図の裾野は,掛幅装説話画の流行により,一層拡大したといえよう。さて,礼拝画から説話画へという趨勢は,春日宮曼荼羅にも影響をおよぼした。南北朝時代制作の南市町本の画中に,参詣者が描かれているのである。6人の参詣者が,春日杜の中門前の長椅子に腰かけて,礼拝を捧げている〔図19〕。参詣者達は合掌した手に数珠をとり,ある者は顔をあげて杜殿の方を正視し,ある者はうつむいて懸命に祈念をこらしている。春日講の講中の人々なのであろう。この南市町本は春日宮曼荼躍諸作品中で,例外的な画面の大きさ(183.0 x 106. 1 cm),精細な風景描写,そして画中の説明的要素の肥大など,特筆すべき要素が多い。大量制作品の一つではなく,特殊な制作背景を想定してしかるべき,モニュメンタルな作品であると思われる。ただし,すでに鎌倉時代の杜寺曼荼羅で,参詣者を描く例がないわけではない。ク-253-

元のページ  ../index.html#261

このブックを見る