鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
262/475

図19春日宮曼荼羅図部分南市町図20春日宮曼荼羅図部分南市町る。たとえば笠置曼荼羅では,巨大な摩崖仏がそびえる閑寂な境内の隅に,小さく2人の参詣者が描き添えられている。参詣を記念する意図があったのであろうか。しかし,春日の場合に関していえば,そうした前例はない。そしてさらに南市町本では,若宮杜の神楽殿の南方の窓辺に,歴女と,笙を奏する男性の楽人も描かれているのである〔図20〕。この2人が,講中の縁故の人物であるのか,何かの説話をふまえているのか,定かではない。しかしいずれにしても,参詣者とこの二人の登場によって南市町本の画面は,定型的図様を描きはするが,説明的様相をおびた異質なものとなっている。こうした変化の原因としては,説話画の影響は勿論であるが,春日講の広がりにともなう春日信仰の庶民化があげられる。藤原氏を中心とした,春日宮曼荼羅を取りまく環境の閉鎖性は,とくに南市町本の制作された南北朝時代以降,徐々に解体していった。そうした時勢の中で制作された南市町本において,神々しい此岸浄土という宮曼荼羅の図像内容は,形骸化に傾いているといわざるをえないであろう。図絵の性格と風景の意味は,変容している。しかしながら,南市町本以後,春日宮曼荼羅諸作品の中で,参詣者などの人物を描<例は知られていない。したがって,南市町本にあらわれている説話画的な特徴を,南北朝以降の時代的様相として一般化することは,控えられねばならない。春日宮曼荼羅の歴史において,南市町本は,例外的な存在であった。むしろ,中世をつうじて説話画的な様相は決して一般化せず,一貰して13世紀の末に成立した図様を描きつづ-254-

元のページ  ../index.html#262

このブックを見る