結注(1) 中島博「宮曼荼羅の成立と発展」(『美術史』102号昭和52年3月)。11月)。(2) 平田寛「鎌倉時代絵仏師研究史料(稿)」所収(『哲学年報』第50輯平成3年3けた点にこそ,春日宮曼荼羅の1つの絵画史的意義はあったように思われる。すなわち,杜寺景観図の多様な展開の中にあって,社頭の風景は礼拝すべき此岸浄土そのものであるとする信仰と図様の伝統を,春日宮曼荼羅は保持しつづけたように思われる。冒頭で,宮曼荼羅が中世の風景表現の展開の,1つの骨格であったと述べた所以である。以上,現存作品の図様の検討を軸として,宮曼荼羅の風景表現について考えてきた。古様な根津本から説話画的な南市町本までは,約1世紀の開きがある。その1世紀の間に春日宮曼荼羅は,絵画史的形成,定型の成立,説話画への傾斜という段階をへている状況がうかがえた。そして宮曼荼羅の風景表現の特質は,1300年の湯木本に,もっとも明瞭にあらわれていた。実景描写と荘厳という相反する2つの志向。さらに,景趣の表出と図像的正確さという背反しあう2つの絵画的要請。そうした諸要素間の緊張のうえに,現実的でかつ神々しい風景表現を,宮曼荼羅は造りだしていた。さらに垂迩画の代表作のみならず,鎌倉絵画の傑作でもある那智滝図は,建築物などの説明的モチーフにたよらず,風景そのもののみを題材として,宮曼荼羅が直面した造形課題に取り組んだ。すなわち那智滝図には,宮曼荼羅が造りだした風景表現の特質が,象徴的にあらわれているのである。宮曼荼羅の風景表現の特質について考えるときに明らかになるのは,以上のような,鎌倉時代後期に明瞭となった,垂迩画そのものの特質であると考えられる。川村知行「春日曼荼羅の成立と儀礼」(『美術史』110号昭和56年3月)。松本公一「宮曼荼羅の成立についての思想史的考察」(『文化史学』44号昭和63年拙稿「宮曼荼羅の成立」(『哲学年報』第52輯平成5年3月)。月)。(3) 現存する奈良•長谷寺本,富山美術館本などと近似する図様であったことが想像-255-
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