鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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⑭ 江戸後期花鳥画の研究一清朝花鳥画との関連について一研究者:東京都江戸東京博物館学芸員岡野智子はじめに四季折々の花や草木に鳥をあわせた絵画,花烏画は,古今東西を問わず,人々にとって親しい絵画表現のひとつであったと思われる。花鳥画は一般に華やかな色彩であり,また特定の宗教や地域に限定されることがあまりないので,扇のような小規模の画面から障壁画といった大空間に設定される調度にまで描かれている。人々はそこに自然の縮図を感じとり,季節の趣を楽しんだのであろう。そしてそれゆえに花鳥画には,より本物の自然に近い美しさ,すなわち写実性と,より美しい装飾性が求められたのである。ところで,中国では花鳥画は唐代より描かれており,宋には写実を極めた花烏画が確立されて,以降元,明,清と受け継がれていくのに対し,日本では花や草木のはかに会鳥や昆虫または魚などが生き生きと画面に登場するのはずっと時代が下る。漆工品などの意匠としては平安時代頃から花鳥,虫が見出だされるものの,絵画として花鳥が主たるモチーフとなることは極めてまれであった。室町時代には,東山文化の広がりのなかで中国絵画に倣うものとして宋の花鳥画を意識した作品が現われ,また雪舟によって水墨表現による四季花鳥画がおこった。一方大和絵にも四季の花鳥を描く屏風などが多く現われた。大和絵の花烏画は,中国の写実的な表現とは異なり,華やかな色彩などを重視した装飾性の濃いものであったが,桃山時代にはこれが多くの障壁画となって,寺院や城郭の大空間を飾った。ところが江戸に入ると,花木を多く取り上げて描いた俵屋宗達やその一派でも,画面に鳥や虫を登場させることはほとんどなく,江戸中期まで中国画を手本とした場合に描いたり写生として描いたほかは,花鳥画はなりをひそめてしまうのである。けれども江戸後期になると,それまでになく多様な花烏画が描かれるようになった。琳派のように,色や形にこだわる装飾的な草花が描かれる一方で,植物の間を生き生きと飛び交う鳥や昆虫にも,画家の観察の目が及ぶようになったのである。こうした背景には,享保の改革以降の洋学の発達による,西洋の博物学的な関心の高まりや,享保16年(1731)に長崎に米日した沈南萩がもたらした,中国の写実的な花烏表現の与えた影署が,ことに近年積極的に指摘され,江戸時代の花鳥画の研究に大きな成果をも-258-

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