鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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たらした。そこでさらに視野を広げてみると,沈南頻に前後して日本に輸入された清画も南頻とあわせて検討する必要があると考えられ,清の花鳥画がどのくらい,どのように江戸時代に日本にはいってきたか,またそれらの作品がどう受けとめられていたかが問題となる。本研究では以上の視点から,清の花鳥画と江戸時代の花鳥画について若干の考察を試みた。1.江戸後期花鳥画の変容はじめに,江戸後期の花鳥画がそれ以前に比べどのように変化したかを探ってみたい。「四季花烏図巻」〔図1〕は,琳派の画風を18世紀末から19世紀初期にかけて江戸で再興した酒井抱ー(1761-1828)の代表作のひとつとして知られる作品である。ニ巻にわたり四季の草花が描き連ねられ,その間を鳥が飛び交う構成となっている。琳派様式による草花のほか,紫陽花や青木など,博物図鑑をみるような写実的な表現も随所に見出だされる。単に花や鳥を羅列するのではなく,絵巻が横に展開する特性を生かして,草の蔓や枝を曲線の連なりとして構成し,動きある魅力に富んだ画面が続く作品である。ところで,この図巻に鳥とともに様々な昆虫が登場することは,従来あまり指摘されなかった。たとえば,藤の蔓を縫うように蜂が飛び交い〔図1-1〕,菊の若い葦の上にはかまきりというように〔図1-2〕,九種十二匹の虫が季節の演出に大きく貢献しているのである。またそうした虫の描写も,せみの抜殻〔図1-3〕のように陰影をつけた精緻な筆致で施されている点が注目される。このように,画面において鳥や虫が描かれ,草花や樹木とともに季節のモチーフとして採用されることは,抱ー以前の琳派作品には,定歌詠十ニヵ月花鳥図など若干の例外をのぞいて,ほとんど見出だせないといってよい。つまり琳派においては花烏画といっても,多くの場合植物だけで構成されるのが常であった。これに対し抱ーは,そうした作品,たとえば光琳の作品を模した「燕子花図屏風」(出光美術館蔵)など,いわゆる琳派風の作品を描く一方,この「四季花鳥図巻」のほかにも,「十ニヵ月花鳥図」〔図2-1,2-2〕や「四季花鳥図屏風」(陽明文庫蔵),また後述する諸作品など,積極的に身近な鳥や虫を用いて画面に動きを与えたり,季節の趣を演出した場合ヵゞ多い。-259-

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