ヽヽヽノ図3-2\ 図4長澤慮雪花鳥墨竹図巻(部分)こうした傾向は,円山四条派の画家たちにも顕著に見出される。円山応挙はしばしば写実的な花鳥画を描き,弟子の松村景文や長澤慮雪渡辺南岳らについては,それぞれ草花に鳥や虫を合わせた花鳥図巻が残されている〔図3■ 5〕。それらの図巻は,やはり草の柔らかい曲線や蔓などを生かして,伸びやかで広がりある画面を構成しており,その中で季節の草花,樹木とともに花や虫が生き生きと描かれている点,抱一の「四季花鳥図巻」に共通する点が少なくない。かつて筆者は,この両者の因果関係について考察を試みたことがあったが,結論としては,一方から一方への影響というより,例えば海外からの新しい表現の受容や,俳諧の影響といった,むしろ同時代的な傾向ではないかと考えるにいたった。18世紀後期には,享保の改革以降盛んになった西洋からの博物学的な関心の広がりによって,多くの写生表現が行われるようになり,これにともない博物図譜も次々と描かれるようになった〔図6〕。こうした気運に,優れた画家が無関心でいられるはずもない。図3-1 長澤慮雪花鳥遊魚図巻(部分)寛政6年(1794)図5松村景文筆秋草図巻(部分)逸翁美術館図6森野藤助松山本草18世紀前期森野旧楽園r -261-
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