2.南禎画風の広がり一方,江戸後期の写実表現の広がりについては,沈南萩のもたらした影響についても,近年特に重視されるようになってきている。南頻は長崎に二年滞留したに過ぎないが,彼の写実画風の及ぼした影響は大きく,とりわけ江戸では京都と異なり伝統的な画壇が薄かったこともあって瞬く間に広がったといわれている。南麒派やその画風を慕う長崎派の作品は最近極めて多く見出だされるようになったか,他の流派への具体的な影響についてはこれから整理検討が進むものと思われる。そこで次に,南禎画風の広がりについて,江戸後期の花鳥画の展開の中で述べる。「餐香宿艶図巻」〔図7〕は,春の野辺の草からはじまり,四季の草花の中に多くの虫が描かれている図巻である。南頻画の特色として一般に知られる濃彩で強い墨線の筆づかいではなく淡彩で柔らかい筆致の作品である。画家の関心はあかとんぼを食べるかえる,あぶをねらうかまきり,かまきりをねらう蟹など弱肉強食の世界にあり,見る者は草かげの虫たちのリアルな戦いぶりに引き込まれていく。この図巻の中に描かれるこうした生き生きとした虫の姿は,前述の抱ーの「四季花鳥図巻」における虫への関心を想起させるようにも思われる〔図1-4, 1 -5〕。中国の絵画花鳥画の伝統においては,宋代より特に写実を極めた花鳥草虫画が描かれる一方,特に常州地方に定着したいわゆる常州草虫画は,草花の周辺や水辺の虫魚を,柔らかな色彩と筆致で表わすものである。この南禎の「餐香宿艶図巻」は,そうした常州草虫画と院体写生画の写実表現をいわば集約した作品といえよう。南萩画としてはあまり評価されていないが,このような画風の南藤作品は,ほかにたとえば「花升図冊」(住友コレクション),「草花群虫図」〔図8〕などが知られている。こうした作品は,後述のように南禎画の特徴を示すというより,むしろ当時の中国絵画のひとつの流行を示すものといえよう。このように,南頑には大きくふたつの傾向の作品があり,濃彩で強い墨線の筆づかいによる松や鶴など吉祥画題のものと,「餐香宿艶図巻」のように,院体花鳥画や常州草虫画に近い,主に花や虫を主題とした,穏やかで柔らかい色調の作品群がある。そして,南藤以降の来舶清人や,南戟の弟子たち,また日本の南藤派の作品の中には,後者のような“花鳥草虫画”ともいうべき作品も少なくない。梁基の「菊虫図」(橋本コレクション)にも二匹のあぶが描かれているし,鄭培の「牡丹図」〔図9〕に-262-
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