鹿島美術研究 年報第11号別冊(1994)
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線を描いて連なり,その間を各種の虫が往来するさまは,南藤の「餐香宿艶図巻」に共通する要素である。以下,同様の作品に次のようなものがある。馬荼(1684■1752?) 哀燿(1739?■1778?)郎世寧華伶(1682■1761?) 居廉(1828■1904)これらの諸作品は,いずれも清の典型的な花烏草虫画の様式,すなわち柔らかな線描と比較的穏やかな色彩によって,草花の鳥や虫を配する構成である。したがって,今まで南萩風といっていた作風の一部は,実は清では広く描かれていた画風であることがここに確認される。そして『宋紫石画譜』などの絵手本や宋紫岡の「草虫図画帖」など,こうした清画を模した作品は19世紀になっても多く好まれ,描かれていることから,江戸時代における清画の移入状況にはもっと広いものがあったのではないかと考えられるのである。まとめ以上の考察から,円山四条派や江戸琳派に現われた鳥や虫の原点として,清の花鳥草虫画の存在が浮かび上がってきたように思う。もう一度抱ーの例を挙げれば,「朝顔図」〔図20〕の葛の葉の上に止まる虫といった描写は,琳派の伝統ではなく,まさしく上記に掲げたような清の花鳥草虫画にその源泉が辿ることができるのである。抱ーのもっとも琳派的な作品においてさえそうした要素は見出すことができる。彼が光琳画風に親しみだした初期の作品に「燕子花図屏風」〔図21〕がある。この屏風は光琳の燕子花図に依って描かれたものと思われるが,葉の上に一匹のとんぼがとまっている。長期にわたり所在が知れなかった作品で,白黒の小さな図版でしか紹介されていなかったこともあり,また,光琳の燕子花図にはこのような虫の存在は見出だせないことから,抱ー画の整理上なかなか検討しづらい作品であった。しかし近年これが世に現われ展覧の機会を得たところによると,初期の画風らしく光琳様式は未消化な部分も目立つものの,若々しい筆致の抱ー研究に欠くことのできない有年紀作品と思われた。ただとんぼの存在についてはどうしてこれを描いたのか,不思議なほど手がかりがみつからなかったのである。「花鳥草虫冊」〔図15〕「花丼図冊」〔図16-1, 16-2〕「花鳥図冊」〔図17〕「席枝天牛図」〔図18〕「花舟昆虫図冊」〔図19〕-267-

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