図20酒井抱ー朝顔図(部分)図21酒井抱一燕子花図屏風(19世紀初期)ところが,清の余榔の「端陽景図」〔図22〕において,水辺に茂る先の尖った葉群にとんぼが戯れる図を見出したのである。もちろんこの両者が直接に結び付くものではないが,このように極めて典型的な琳派の作品にも,あるいは清の影署が及んでいるかもしれないという視点は今後も維持したいと考える。おそらく江戸時代において,中国の花鳥画の受容は重層的段階的に行われ,その中で直模する画家から若沖のような個性を経て,応挙や抱ーといった,モチーフや構図を借りながら日本の草花と合わせて意図して季節感を演出する,和様化が行われたのではないだろうか。これからは,さらにこの問題を深めるため,江戸時代における中国画の輸入状況を把握する目的で,『狩野家鑑定控』などに見出だされる中国絵画の種類や傾向の整理を進めたい。また細川家に伝わった『古画御掛物之帖』には,文化文政頃,細川家で中国画を集中して購入した記録がある。他の大名家についても同様の記録を調査し,大名家と清画の関わりについても調査する所存である。さらに近衛予楽院も関わりをもったという沖縄の画家山口宗季の果たした役割についても広く考え,作品調査も行いたいと思う。清の絵画そのものの評価が現地でさえ十分に整理されていない現状で,文献調査でさえ思うように進まなかったが,清の花鳥画と江戸の花鳥画との関わりは,想像以上に大きく,今後年月をかけて研究を続け,その様相を明らかにしたい。文政後期享和元年(1801)出光美術館ヽノrヽヽ図22余稗端陽景図18世紀中期-268-
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